第98話  「伊勢物語その後」のあれやこれや

斎宮千話一話 98話 「伊勢物語その後」のあれやこれや
 むかし、おとこ有りけり。歌はよまざりけれど、世中を思知りたりけり。あてなる女の、尼になりて、世中を思ひ倦んじて、京にもあらず、はるかなる山里に住みけり。もと親族なりければ、よみてやりける。
 そむくとて雲には乗らぬ物なれど世の憂きことぞよそになるてふ
となんいひやりける。斎宮の宮なり。

 お久しぶりです。えーっと、新鮮な小ネタになかなか巡り合えず、更新していませんでした。『千話一話』100話達成は目の前なのに、さてはていつになることやら。
 というわけで、久しぶりに出してくるお話も、さてはて、というような内容かも。
 これは『伊勢物語』第102段、斎宮物語の後日談、その成立の歴史から見ると、伊勢物語本編ではなく派生した作品、今風に言えばスピンオフ的な章段と言われています(第85話参照)
 最初にご紹介したのは、『伊勢物語』第102段です。美しい女が尼になって、京からはるかに離れた山里に住んでいたので、親族の男が歌を送った、という内容です。
 ごく短い章段なのですが、この段には謎がある、とされています。最後の「斎宮の宮なり」という一節がそれです。
岩波書店から出ている『日本古典文学大系』(1957年)さらにそれを新版として再編集した『新・日本古典文学大系』(1997年)にはいずれも『伊勢物語』が入っています。前者は大津有一、築島裕先生、後者は秋山虔先生と、その時代を代表する国文学・言語学者が校訂・注釈を行っており、さすがに名作の名に恥じない人選です。
 ところがこの二冊が二冊とも、この章段の最後「斎宮の宮なり」という一節を、「不審」としているのです。もとより「宮」字が重複するのはあまり形がいいものではないのですが、104段にも、「斎宮の物見たまひける車」という表現があり、元斎王のことを「斎宮」と呼んでいます。そもそも現在の『伊勢物語』の69段から72段の斎宮関係章段(73段を入れることもある)には、斎王を「斎王」と書いている箇所は全くなく、「伊勢の斎宮なりける人の親」「斎宮のかみ」「斎宮は水のおの御時」「斎宮のわらはべ」「伊勢の斎宮に」など、「斎宮」が「斎王」「斎宮」「斎宮寮」のすべてを指す用語として使われているのです。
したがって後日談になるこの102段の「斎宮の宮」も、「斎宮」とは斎王の意味で、「宮」とは「式部卿宮(しきぶきょうのみや)」とか「匂宮(におうのみや)」とかと同じ、皇族という意味の「宮」だとすれば、「斎宮の宮」とは、「元斎王だった皇族」という意味ですなおに理解はできるとは思います。
でも、大先生方がそんなことに気づかなかったとは思いにくいのです。もう少し深い意味があるのかなぁ、と思って見直していて気になったのは、この章段の歌です。 
 そむくとて雲には乗らぬ物なれど世の憂きことぞよそになるてふ
世の中に背を向けて(出家したからと言って、仙人のように)雲に乗るというわけではないけれど、世俗の辛いことは他人事になったということなのでしょう。

という感じに訳せて、辛いことは男女の仲、という理解が一般的なようです。
 しかし、なんとなく引っかかるのは「雲に乗る」という表現です。雲というと「雲居」を連想して、宮中のイメージにつながります。「雲には乗らぬ」には、天皇に即位しない、とか皇后に立后されないというニュアンスがあることもそれほど無理ではないでしょう。
 とすれば、この歌には、「心ならずも内裏から遠く離れた身だけれど、だからこそ世の中の雑事に気を取られないのですよね」というニュアンスが感じ取れます。
 とはいえ、恬子(やすこ)内親王が斎王になっていなければ皇后になっていたか、というと決してそうではありません。異母弟の清和天皇は恬子内親王の同母兄の惟喬親王を押しのけて藤原良房が即位させた、いわばこの兄妹から見れば政敵で、その子の陽成天皇はずっと年下、つまり彼女のお相手はいないのです。つまり彼女はもともと「雲には乗らぬ」立場ではあったのです。
 さて、「雲には乗らぬ」という言葉で連想できる故事がもう一つあります。それは中国の神仙物語を集めた『淮南子』(えなんじ)という文献に出てくる神話です。
はるか古代に嫦娥(じょうが)という仙女がいました。この人は地上に降りて后ゲイ(こうげい、ゲイは「弁」の「ム」を「羽」に変えた字)という英雄と結婚したのですが、后ゲイが西王母という女神からもらった仙薬を盗んでしまいます。この薬は二人で飲むと不老不死になり、一人で飲むと天に上がるというものだったらしいのですが、彼女は一人で飲んで月に逃げたというものです。つまり嫦娥は月の女神なのです。なお、西王母の罰で蟾蜍=ヒキガエルにされ、今でも月にはウサギとヒキガエルがいる、というバージョンもあります。そして平安時代の宮廷儀礼で使われた月の幡(旗指物)には、満月の中にウサギとカエルとカツラの木が描かれていて、この伝説が定着していたことがわかります。そして後世中国で描かれた嫦娥の絵は、雲に乗って月に上るという姿で描かれたものが多いのです。
というところで注目できるのは『伊勢物語』第74段です。これは、「そこにいるのはわかっているけれど、手紙を出すこともできない女を思って」というだけの話で
目には見て手には取られぬ月のうちの桂のごとき君にぞありける
 という歌に続きます。この女性が、第69段から72段までの「斎宮章段」の主役、斎王恬子内親王である、という解釈から中世の伊勢物語注釈以来あるのです。もしもそうだとすると、斎王は月の女神嫦娥に見立てられていることになるわけです。
 ならば「雲には乗らぬものなれど」は、「嫦娥のように雲に乗って行ってしまったわけではないけれど」と理解することもできるのです。
 このように、斎王が嫦娥だとすれば、斎宮は月宮殿、つまり月の宮に見立てられることになります。とすれば、この女性は、もともと「仙界の宮」(斎宮)から現実世界に降りてきて(帰京)、ふたたび「昇天」(世を捨てて出家し、山里に住む)した、と理解され、問題の「斎宮の宮」という表現は、「もともとは斎宮にいた皇族女性」、つまり「月の宮殿にいたあのお姫様のことですよ」という意味で特に強調して書いた、とも理解できるのです。
 

 そして、ここからさらに妄想は膨らみます。斎王を嫦娥に見立てるなら、男=在原業平は后ゲイに見立てられるということになるのかもしれません。とすれば、102段の歌の「そむくとて」には、后ゲイにそむいて月に去った嫦娥のイメージが投影されているとも取れます。さして后ゲイもまた地上に降りた神仙で、太陽が十個出て世界が日照りに苦しんだ時、九個まで射落としたという伝説があることで知られています。ならば元は皇族で臣下に降りて、近衛中将、つまりアスリート系のかっこいい武官「在五中将」として知られ、三十六歌仙絵でも弓を持つ姿で描かれる在原業平には、意外に后ゲイ的なイメージがあるのです。
また、業平は別の意味で太陽と関わっています。彼は平城天皇の孫で、母方の祖父は桓武天皇と、当時の宮廷では唯一、両親とも皇族という人物(同時代の文徳天皇や清和天皇の母は藤原氏)だったので、天日嗣、つまり太陽の子孫に連なる存在でもあったわけです。
 ならば、業平=太陽、恬子=月というイメージが第102段の歌の背後にはあったのかもしれません。
 このように、『伊勢物語』はいろいろなことを考えさせる要素があちこちにちりばめられています。いくら読んでも読みつくせない面白さがあるのです。

      (2022.3.16 学芸普及課 榎村寛之)

榎村寛之

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