第84話  斎宮千話一話

斎宮千話一話 樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』を読みました。

 斎王が関係する小説、というものが、ありがたいことに最近しばしば出版されます。本格小説や若い人向きのライトノベルなど、その分野はいろいろです。おかげさまで斎王・斎宮という存在の面白さが、少しは世に知られてきたのかなぁ、いう感じではあります。
 その中で、最近、著名な作家による大きな成果がありました。
樹のぶ子先生の『小説伊勢物語 業平』です。
樹のぶ子先生といえば、「光抱く友よ」で芥川賞を受賞、紫綬褒章、日本芸術院会員、文化功労者、個人的には自伝的小説「マイマイ新子」と、その映画化『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)が印象的です。
その樹先生が古典文学に挑戦、というだけで話題、しかも日本経済新聞に昨年(2019年)に連載されたのですから、これはすごい。
そしてこの度、単行本として日本経済新聞出版より一冊本となったのです。『伊勢物語』ですから、もちろん斎宮や斎王も大きく取り上げられています。そもそも『伊勢物語』の現代小説化というのが、意外に珍しいのです。
 王朝文学の現代編といえば、まず『源氏物語』があがります。与謝野晶子をはじめ谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴、橋本治先生と、まさにそうそうたる名人上手が並びます。しかしそれ以外の作品となると、たとえば『枕草子』なら田辺聖子先生が「むかし・あけぼの―小説枕草子」や橋本治先生が『桃尻語訳 枕草子』、同じく田辺聖子先生が『おちくぼ物語』から『舞え舞え蝸牛』を、さらに鎌倉時代の擬古文学ですが『とりかえばや物語』を、氷室冴子先生が『とりかえばや物語』から『ざ・ちぇんじ!― 新釈とりかえばや物語―』などで、長く読み継がれている作品となると意外に限られています(王朝文学というには少し古い『竹取物語』と、少し新しい、戦記文学に分類される『平家物語』などは除きます)。そして『伊勢物語』ではこれ!という作品が意外にありません。つまりそれだけ『伊勢物語』は扱いが難しいのです。

無題

無題

というのも、『伊勢物語』は俗に在原業平一代記と言われますが、その主人公「昔男」の年齢に合わせた時系列、というわけではなく、各章段の中には、つながりのない掌編がたくさん混じっています。そしてたとえば『筒井筒』の主人公「田舎わたらひしける人の子ども」のように、必ずしも業平の話というわけでもない段もあるのです。このように、現代小説としてまとめるとすれば、根幹の部分をしっかりと組みなおさなければならないのですが、その部分の構成に説得性がないと、小説としての妙味が薄れ、千年前の『伊勢物語』の作者に振り回されてしまうことになるのです。そんな難しい物語を、ひとつの作品としてまとめ上げた樹先生はさすがだなあ、と思うわけです。
さて、もちろん内容については触れませんが、『業平』は、文字どおり業平一代記として作られています。その中で「歌物語」としての『伊勢物語』の味わいが見事に保たれていることに驚かされます。もともと『伊勢物語』の物語部は、歌の良さを生かす「詞書」が発達したものと見られており、無駄のない文体で『源氏物語』ほど嫋嫋とした雰囲気のものではありません。また、それぞれの物語が歌と結びついているので、お互いにあまり関係のない短い話が多いのです。そのため、現代語に訳しやすいので古典の入門書には向いているのですが、直訳してもそれほど面白くならないのです。
それが樹先生の手にかかると、業平の青春、壮年、老年と時代に応じた物語に並べなおされ、かつ歌を話の中心におくという本質はそのままに、『源氏物語』をも思わせる流麗な文体で物語として綴られていくのです。ご本人の「あとがき」によると「蛮勇」ですが、あざやかなお手並み、としか言いようがない所です。この流麗なストーリー展開は、毎日切れ切れで読む新聞連載だけでは味わえない、単行本ならではの魅力になっています。

また『伊勢物語』ては、先に触れた歌とわずかな物語だけで作られた短い章段に、沢山の珠玉の名歌がみられます。たとえば、
 第32段
むかし、物いひける女に、年ごろありて、
 いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな
といへりけれど、何とも思はじやありけん
(昔、関係のあった女に、何年かたって
 むかしむかしの倭文の苧環に糸をくりくりと巻き付けるように
  むかしを今に巻き戻すことはできないものかなぁ
 と言いやったけれど、何もおもわなかったのだろうか)
という章段の歌は大変有名ですが、物語はあまりよくわかるものではありません(詞書の雰囲気を残した章段はたいていこういうものです)。
そしてこの歌とその話を、樹先生は『源氏物語』のとあるエピソードを思わせる下りを創作して、その中に見事な手際で取り込んでいるのです。それがどこなのかは、読んでのお楽しみ。
この他にも、あ、この話は、とか、あ、この下りはとか、作者の深い古典教養を感じさせるものがあります。また、さりげなく進行役を務める業平の従者の憲明や、琴(きんの琴)に例えられた女君、筝(そうの琴)に例えられた女君など、人物造形の巧みさも清少納言さながらの妙味です。これも読んでのお楽しみ。
 そして何といっても、実地を歩いた斎宮の描写が実にいいのです。大淀の浜や佐々牟江など、日本遺産にもかかわる地名が取りあげられ、うんうんそうね、ああそういう感じ、とよく考証された描写が重ねられます。
その中で業平と斎王の物語は、二章にわたって語られる上、その前日譚も後日譚も周到に用意されています。その行間から、斎王恬子内親王という人物がじんわりと心に染み込んでくるようです。この業平伝、後半四分の一ほどは斎宮と深くかかわった物語になっているのです。
そして斎宮にかかわるある人物が、業平の生涯が『伊勢物語』へと展開していく幕切れを演出していきます。
ここはぜひともじっくり読んでいただきたい。
 中世の伊勢物語注釈書に見られる特殊な解釈をもとに、新たな物語がここに生まれています。
 いろいろあったけど、いいなあ、この人生、とも思わせる物語。もうひとつの『伊勢物語』として長く読み継がれるといいなぁ、という作品でした。

榎村寛之

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