第40話  大淀の浦立つ波の形−企画展『海をえがく、表現する』によせて−

 今、博物館で開催中の『海をえがく、表現する』展。海と一口に言っても実に色々なイメージがあることに驚かされ、海の絵、波の絵を見るだけでもなかなか興味深い展示になっています。
 この展覧会では、伊勢各地を始め、あたこちの海が取り上げられています。その中で、斎宮に関わりの深いのが、同じ明和町内にある大淀の浦です。第二十九話でも書きましたように、都人にも知られている名所でした。
 和歌を集成した『国歌大観』を見ても、大淀を読み込んだ和歌は数多く見られ、実際に見た、見ていないに関わりなく、「大淀の松」「大淀の波」「大淀の浦」という形で色々な歌に読み込まれています。こういう地名を「歌枕」といいました。
 そうした歌の大もと、つまり、大淀を詠んだ最古の歌、と言えるのが
  大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる波かな
 (大淀の松はつれないことはないのに、浪は浦を見るのみで帰ってゆく。私もつれなくないのに、あなたは待っている私を置いて帰って行く。私に残るのは恨みだけ。)
 という伊勢物語第72段の歌です。
 この段は伊勢物語の中では成立の新しい部分、と見られることが多いようで、勅撰和歌集に載ったのも、『新古今和歌集』が最初と、あまり重視されていたようではないのです。しかしこの歌、なかなか含意があるようです。
 そもそも波が「かへる」は「返る」なのでしょうか、それとも「反る」なのでしょうか。普通なら、波が寄せては「返す」様、というイメージなのですが、この歌の場合面白いのは「うらみ」という言葉が関係していることです。「うらみ」は「恨み」「浦見」そして「裏見」と変換できるのです。波が「かえる」ことと「裏見」が関係するとしたら、かえる波とは、立ち騒いで、普通見えない所まで見せている波の様子をあらわす「反る波」のようにも思えるのです。
 もしもそういう理解なら、この歌の下の句の解釈は
「大淀の松のように私もつれなくないのよ、でも海岸の波が立ち騒いでその裏側まで見せても、決して松のそばには行かないように、あなたは待っている私の近くに来て、裏、つまり後ろ姿を見せただけで去っていく。そして私には恨みだけが残るの」
と読み解くこともできるように思うのです。
このように、波の形一つにこだわるだけで、意外に複雑な解釈ができるかもしれません。
それにしても『伊勢物語』の歌だけに、この歌の後世に与えたインパクトは大きかったようです。

 例えば、大淀を詠ったもう一つの名歌、斎宮女御の
 大淀の浦立つ波のかへらずは変わらぬ松の色を見ましや
の歌にしても、「大淀」「浦」「波」「帰る」「松」と、この歌を踏まえている事がわかります。
 しかし斎宮女御の歌は、『伊勢物語』とは少し趣が違うように思うのです。
この歌は「かへる」をつなぎとした、二句切れ歌という印象を受けます。
大淀の浦に立つ波がかえる その波のようにここに帰って来なければ、変わらぬ松の緑を再び見られただろうか。
という感じです。 
ここでは、波が「返ろう」と「反ろう」と、重点が置かれているのは「私がここに帰ってきた」という感慨です。「大淀の松」の歌が都へ「帰る」男に投げかけた歌なのに対して、「大淀の浦」の歌は、伊勢に「帰ってきた」斎宮女御の歌、という点で大きな違いがあります。なぜなら、斎宮女御もまた、本来帰るべき所は都だからです。しかしこの歌では彼女は自分を、都を離れて伊勢に「帰ってきた」者と見ているのです。娘とともに伊勢を再訪した、と説明されることが多い彼女ですが、本当の気持ちはどうだったのか、この歌もまた、色々な含意をうかがわせます。その意味でも、数ある大淀の歌の中でも、異色の名歌と言えるのではないかと思います。
なお、面白いのは、この歌の波は、おだやかな浦に立つ波なので、それほどの大波小波ではなく、やはり海岸に立つ程度の白波なのかなと思えることです。斎王が禊をする浦ならば、そうした波の方がふさわしく感じます。そして実際、現在の大淀の港は、そんな波の寄せる所です。
さて、「大淀の松」の歌については、もう一つ面白い話があります。10世紀前半の女流歌人伊勢の歌集『伊勢集』の中に、この歌が取り上げられていることです。この時代の歌集の常として、『伊勢集』もまた、伊勢自身の編さんではないようです。そして現存の『伊勢集』には、明らかに伊勢の作品ではない古歌がかなり混じっているのです。「大淀の浦」の歌もその中の一首だと思われるのですが、面白いのは、伊勢が長い間『伊勢物語』の作者に擬せられていて、その理由が、業平の最後の妻だったこと、そして斎王恬子内親王と業平の逢瀬の時、斎王を導いた「小さき童」とは、幼い日の伊勢だった、という説が中世には信じられていたことです。
「大淀の松」の歌は、斎王と業平の恋の一部始終を知っていた伊勢によって挿し込まれた章段だ、というように理解されていたのかもしれません。

波おだやかな大淀の浦を山車が行く祇園祭

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榎村寛之

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