第6話  源氏物語と天皇(1)

 先日「東映創立50周年記念作品」と銘打った大作『千年の恋 ひかる源氏物語』の記者発表があったことをご存じの方も多いと思います。実はこのPR資料として、本館蔵の『源氏物語須磨巻絵巻』などが使われているのです。先日送られてきたマスコミ用パンフレットにも大々的に写真が使われていました。

 というわけで、今後皆様のお目にも触れる機会もきっとあろうかと思われますので、その時は、「おっ、斎宮のだ」とびっくりして下さいませ。

 そこで、『千年の恋 ひかる源氏物語』記者発表記念のパンフレットについて気がつきましたことでひとつ話題のご提供。
 このパンフレットを見ると、原作とは名前の変わっている人が二人います。光源氏の異母兄の帝が「十条帝」、源氏と義母の藤壺中宮の間にできた新帝が「玲瓏帝」になっているのです。『源氏物語』に興味をお持ちならまず知らない方はいませんでしょう。前者は朱雀院、後者は冷泉院が「正しい」のです。

 いやー、東映さんも気の使いすぎ、と思いました。
 その経緯については詮索するほかありませんが、実は、朱雀天皇も冷泉天皇も実在する天皇の「名」なのです。で、はばかって、別の名をつけたのだと思います。
 そしてこの点については、私もかつては疑問に思っていました。『源氏物語』の登場人物は全て架空なのに、何故実名が二人だけ交じっていて、しかも天皇なのでしょう。しかも、実在の朱雀天皇と冷泉天皇は、何かと問題の多い天皇として知られているのです。

 朱雀天皇(923−52)について、『平安時代史辞典』(古代学協会編 角川書店 1994年)は次の様に記しています。「三才にして東宮になるが、その背景には、延長元年に皇太子保明が、更に同三年は皇太孫慶頼王が相次いで薨去するということがあった。彼らの死は、菅原道真の怨霊によるものとされ、寛明(朱雀帝のこと)は幼年時代より母后の庇護のもとで育てられ、穏子は大きな政治的発言力を持つに至った。」

 また、冷泉天皇(950−1011)については、
「後世、冷泉天皇は精神的に弱い面を持っていたことが強調されますが、その背景には、(中納言藤原)元方の怨霊の所為とする所伝が真実味をもって喧伝されたということがあった。」とする。二人とも怨霊に悩まされた不幸な天皇、というわけです。そして『源氏物語』が書かれたころには問題の「冷泉天皇」はまだ存命中だったのです。

 なぜこういうことが起こったのでしょう。
 もともと『源氏物語』は皇族内の不倫を扱った小説です。そのため、戦前戦中の頃には、その研究がいささかはばかられたり、発禁になりそうになった時期もあったと聞いたことがあります。で、そこから類推して、二人の「実名」の天皇の背景には、わざと不幸な天皇を選んだ作者紫式部の隠されたメッセージがあるのではないかと・・・

 という話は一切考えすぎ、それは「近代的常識」による勘違いということをここで強調しておきたいのです。

 結論からいうと、平安時代に『源氏物語』を読んだ人は、「朱雀院」から実在の朱雀天皇を連想することも、冷泉院から冷泉天皇を連想することもなかったと思います。
 この議論にはスタートから二つの大きな間違いがあろのです。
1、『源氏物語』には、「朱雀院」「冷泉院」という天皇が出てくる
2、「朱雀天皇」・「冷泉天皇」という天皇が平安時代にいた
 この二つの前提がそもそも間違っているのです。

 まず1から解説しておきましょう。
 もともと『源氏物語』の読み手泣かせな特徴に、登場人物の名前が場面によって変わる、ということがあります。例えば「若菜」巻を例にとってみましょう。ここでは光源氏は、「六条院・院・御前・六条のおとど・あるじの院」と記され、紫の上は「対の上・北の政所・紫・対・女君・御方」とされます。そして問題の朱雀院は「朱雀院の御門・院・院のみかど・みかど、上、一院、あるじの院、父みかど」、冷泉院は「内・みかど・おほやけ」とされます。

 つまり、「光源氏」「紫の上」というのは、後世の人が付けた、便宜的な名なのです。私の確認した限りなので違うかもしれませんが、「朱雀院の帝」という言葉の初出は「少女」巻、「冷泉院」に至っては、源氏没後の「匂宮」巻です。そしてこれらの言葉は「朱雀院という所にいる上皇」であり、「冷泉院という所にいる上皇」という以上の意味では使われていません。つまり、『源氏物語』本文で見る限り、この二人はいつでも「朱雀様」とか「冷泉様」とか呼ばれていたわけでは決してないのです。
 その意味で、『源氏物語』には「朱雀院」も「冷泉院」も出てこないのです。
 次に2について。
 まず、朱雀天皇、冷泉天皇という名前が平安時代にあった、というのが間違いなのです。『百人一首』を思い出していただくととわかりやすいと思います。『百人一首』に採られた天皇は、古い順に天智「天皇」、持統「天皇」、光孝「天皇」、三条「院」、崇徳「院」、後鳥羽「院」、順徳「院」と記されます。お気づきのように、光孝までは「天皇」、三条から後は「院」です。三条以降は「天皇」と呼ばれていません。

 さて、今のみかどの前のみかどは「昭和天皇」です。その前は「大正」天皇、その前が「明治」天皇となる、では今のみかどは?

(榎村寛之)

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