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第102話(番外編2) 長田川絵図


長田川絵図「中之巻」

長田川絵図「中之巻」

長田川絵図「上之巻」と収納箱

長田川絵図「上之巻」と収納箱

長田川絵図  彩色や装丁、念入りに

本絵図は三巻から成り、伊賀上野から山城国笠置までの長田川(木津川)と周辺を細密に描いている。それぞれが折り本の形態になっており、伸ばすと、上巻が約26メートル、中巻が約22メートル、下巻が約10メートルと長大になる。
川筋が曲がっているところでは、絵図に記された折り目指示に従って折り込むことで、実際のように表すことができるという非常に手の込んだ工夫がなされている。
また、彩色や装丁も念入りに施され、県が所蔵する近世から近代にかけての絵図、地図約4300点の中でも、出色の出来栄えを誇る。下巻の奥書に「文化八辛未秊維夏」「速水春暁斎図」とあり、作成年と作者が判明する。
 絵図が作成された理由や県庁文書として保存されてきた詳細な経緯は明らかでない。ただ、奥書に見える1811(文化8)年頃には、江戸−大坂間の海運を巡って難船が相次ぎ、陸送のために長田川に船を通すことが計画されていた。その中心になるのが京都の豪商、角倉(すみのくら)家で、各方面に働きかけた結果、15年には長田川の通船が開始される。
 川の様子を克明に描くことや絵図を折り曲げて実際の屈曲に合わせる手法などから考えると、背景には長田川の通船事業がかかわっていた可能性が高い。
 作者の速水春暁斎(1767〜1823)は、京都在住の絵師で、家業は呉服商であった。絵を円山応挙に学んだとも言われており、寛政(1789〜1801)以後、自作の絵本や読本を刊行し、また、多くの挿絵も提供している。代表的なものとして「絵本伊賀越孝勇伝」(1802・享和2)や「絵本亀山話」(03・享和3)、「絵本誠忠伝」(07・文化4)などがあり、「年中行事大成」(06・文化3)のような神事や祭礼といった年中行事を広く収載した実用的な本もある。
こうした実績から、角倉家が春暁斎に依頼してこの絵図が作成されたものと考えられる。おそらく、絵図は長田川通船のために角倉家から津藩に提出され、1871(明治4)年の廃藩置県の際に県庁に引き継がれたものではないだろうか。
なお、写本が京都大総合博物館に所蔵されるほか、地元伊賀の探溟文庫にも類似の絵図がみられる。  

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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