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第96話 ウミユリの化石


いなべ市藤原町篠立産石灰岩(左右12p)

いなべ市藤原町篠立産石灰岩(左右12p)

石灰岩はセメントの原料のほか、鉄の精錬や建築用の骨材として良く利用されている。炭酸カルシウムあるいは、方解石、あられ石を主成分とする炭酸塩岩の一種で、世界中の全堆積(たいせき)岩の約20%を占める。熱帯から亜熱帯、温帯域の浅い海に生息していたサンゴ、有孔虫、ウミユリ、貝類などの生物の遺骸(いがい)や、それらが細かく砕かれたものが堆積したものだ。このため、石灰岩中にはサンゴなどの生物の化石がしばしば見られる。現在でも熱帯、亜熱帯地域ではサンゴを主とした生物礁として、また、海洋底の一部では細かな石灰質の泥として、石灰岩の形成は進みつつある。
 写真の石灰岩は、いなべ市藤原町篠立産だ。写真の印を付けたところに、横にひだ状の膨らみが連続したチューブのような形がみられる。ウミユリの化石で、名前から植物を連想するが、れっきとした動物で、ウニやナマコ、ヒトデなどと同じ棘皮(きょくひ)動物の一種だ。名前は植物のユリが海底に生えているような姿に由来している。カンブリア紀中期(約5億500万年前)以降に出現し、「生きている化石」と呼ばれている。
 この石灰岩はどこでできたのだろうか。これまでの研究で、藤原地域の石灰岩は岐阜県の美濃山地北西部の舟伏山を中心とした地域に分布する石灰岩と同起源で、古生代ペルム紀(約2億9000万年前〜約2億6000万年前)のサンゴ礁に由来し、石灰岩の堆積の様子が現在の南太平洋に浮かぶサンゴ礁と酷似していることから、藤原地域の石灰岩のふるさとも南太平洋付近と考えられる。
では、遠い南の海でできた石灰岩が現在の藤原地域までどうやって北上したのだろうか。現在、地球上には太平洋プレートやフィリピン海プレートなどの海洋プレートとユーラシアプレートなどの大陸プレートが多くあり、地球の表面はたくさんのプレートでつぎはぎ状になっている。海洋プレートはマントルを作っている物質が上昇してくる中央海嶺(かいれい)で生まれ、ゆっくりと移動し、大陸プレートとの境界にある海溝で、大陸プレートの下へもぐり込み、マントルへと戻っていく。海洋プレートの動く速度は、1年でわずか数センチだが、長い年月をかけて移動する。
東アジア付近では海洋プレートの動きで、南の海でできた石灰岩、チャート、緑色岩などが運ばれ、ユーラシアプレートの下に沈み込む際、海溝部分ではぎ取られ、大陸側から供給される砂岩や泥岩とともに陸側に押しつけられていく。こうした作用を「付加作用」といい、供給される堆積体は、「付加体」と呼ばれる。
南の海でできた石灰岩は、プレートの動きで北へ運ばれ、その後の隆起作用で現在の藤原地域でみられる。石灰岩の成因をたどることは、三重県の地史を考える上で重要だ。

(三重県立博物館 小竹一之)

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