トップページ  > 明治百景-百年前の三重県- > 名所 > 瀞八丁(南牟婁郡入鹿村木津呂ほか)※

瀞八丁(南牟婁郡入鹿村木津呂ほか)※


写真


 三重県・和歌山県境を流れる「音無川」(熊野川)の支流の北山川をさかのぼった、南牟婁郡入鹿村(現紀和町)と和歌山県東牟婁郡玉置口村(現熊野川町)の間にある。「峡流八丁左右断崖壁立千尺仰見レハ天宇帯ヨリモ細ク、緑樹影ヲ倒ニシテ奇巌怪石其間ヲ点綴シ、実ニ天下ノ勝区ナリ」と『三重県写真帖』に記しており、絶勝の地として有名であった。当時、既に旅館もあったようであるが、地元では瀞峡保勝会を組織し、「遊艇・腕車・旅館の設備を整へ、都人士探勝の便を謀る」計画もなされていたらしい(『三重県案内』)。写真には帆装の川船が写っているが、この船は「団平船」と呼ばれ、当時木材など物資の輸送に活躍したものらしい。そして、大正9年(1920)10月にはプロペラ船の第一号が熊野川に浮かび、プロペラ船を利用した船会社がいくつか誕生し、河口の和歌山県新宮町(現新宮市)〜瀞峡をプロペラ船が往来するようになった。昭和初期には5往復があり、往復時間5時間30分で、1人5円50銭の料金を要したという(『紀和町史』下巻)。その後、昭和40年(1965)10月1日、ウォータージェット船が就航し、スピードアップとプロペラ騒音の低減に成功し、「瀞峡観光に画期的な改革」となり、次第にプロペラ船は使われなくなっていった。また、44、45年頃には新宮市にあった船着場も熊野川町志古に移設された(『熊野交通株式会社営業報告』)。なお、この瀞八丁は、文化財保護法による特別名勝及び天然紀念物(昭和27年3月指定)されている。

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る