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西行谷(宇治山田市宇治館町)


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 平安時代末頃の歌人西行は、仏道修行とともに歌を詠み諸国を遍歴していたが、晩年になって伊勢に移住したと言われる。この伊勢での西行の住まいをめぐる推定地あるいは伝承地が「西行谷」で、大きく分けて2ケ所の説がある。一つは「二見の西行谷」であり、明治41年(1908)に記念碑も建てられた。そして、平成4年(1992)には付近の安養寺跡が発掘調査され、西行庵の可能性が考えられる遺構や遺物が発見された(『三重県埋蔵文化財センター年報』4)。もう一つの説が右頁写真の箇所で、「宇治の西行谷」と言われる。「宇治橋より約六町、菩提山続きの麓」(『三重県案内』)、現在の伊勢志摩スカイラインの料金徴収所から少し登った所にあって、明治期には写真のような茅葺きの庵が建てられていた。この西行谷については、室町時代の連歌師宗長も訪れており、その頃から二見よりも有名になったらしく、江戸時代に発行された『伊勢参宮名所図会』でも、双方の西行谷について触れているものの、宇治は図が描かれ、二見は数行の文章だけである。さらに、『三重県案内』は宇治のみで、二見の西行谷は記述がなくなっている。やはり当時は宇治の西行谷説が優位だったようである。しかし、最近では考古学的な発見や研究者の中には資料的に宇治の西行谷を証拠づけるのは難しいと指摘する人もあり(『三重の西行法師遺跡考』)、さらに詳細な調査研究が期待される。

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