トップページ  > 明治百景-百年前の三重県- > 名所 > 継松寺(飯南郡松阪町)

継松寺(飯南郡松阪町)


写真


 寺伝によれば、天平年間(729〜749)聖武天皇の命により行基が飯高郡石津郷(現松阪市)に一寺を建てて如意輪観音を安置したことに始まる。その後、大洪水のため本尊が流されたとき、度会郡二見浦の三津五郎右衛門が海中から拾得し、五郎右衛門は剃髪して継松法師と名乗り当寺を再興した。それが寺号の由来である。また、「岡寺」と通称されるのは、正応(1288〜1293)の頃に岡山行武が観音堂や大日堂を再建したためで、もともと「思寺山」であった山号を「岡山之一字自岡寺山ト云始」めたらしい。さらに、天正年間(1573〜1592)蒲生氏郷の松坂城築城に伴い現在地に移転したという(『松阪市史』第3巻)。なお、この当寺の本尊は古来厄除けの観音として有名で、『三重県案内』でも「厄落しの祈願仏として、初午の日は遠近より参詣するもの夥しく、松阪第一の殷賑を極む」と記し、松阪で最大のにぎわいであると紹介している。

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る