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津城址と高山神社(津市丸ノ内)※


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 慶長13年(1608)伊予国から伊勢国安濃津に入封した藤堂高虎は、織田信包が築いた安濃津城を全面的に改修して津城を完成させた。それ以降は城主の交替もなく、城地が大きく変更されることはなかったらしい。明治5年(1872)城地の一切を陸軍省が管理したが、22年には藤堂家に払い下げられた。その結果、城地の多くが貸宅地となり、土堤などを崩し外堀や内堀の一部が埋められていったという(『三重の近世城郭』)。また、21年に三重県尋常師範学校、26年には安濃津地方裁判所が内堀沿いに建てられてた。右頁下の写真には師範学校の白亜の校舎が入っており、地方裁判所は写真82に掲載したが、前面に堀が写っている。右頁上の写真は「城趾の中央」にある高山神社で、藤堂高虎を祀る。高虎は、法号が寒松院殿道賢高山権大僧都で「高山公」と通称されるが、神社名もそれに由来する。明治9年創始で、当初は安濃郡下部田村広明(現津市)八幡神社境内に神詞があったが、36年に津城址の本丸跡に遷宮し、鎮座式大祝祭典も執行された(『津市史』第5巻)。したがって、写真は遷宮後まもなくということになる。高山神社は昭和20年(1945)の空襲で本社殿が全焼し、その後復興もしたが、44年には公園整備のため本丸跡から南西方向の内堀埋立地に移された。ちょうど下の写真の堀左部分に当たる。

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