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久居町(一志郡久居町)


写真


 「久居」の地名は、藩祖藤堂高通がこの地に永久に鎮居するといったことに由来するが、明治22年(1889)4月の町村制施行で、久居の本町・東鷹跡町・西鷹跡町・二ノ町・旅籠町・幸町・万町・寺町の各町が合併し、久居町(現久居市)となった。その当時の戸数・人口は808戸・3,248人であった(『町村制実施取調書』)。一志郡役所や一志郡を管轄する警察署も久居町に置かれ、37年には県立農学校も開校していた(『三重県教育史』第1巻)。写真の町並みは本町など久居の中心地と思われるが、どこか断定できない。なお、『三重県案内』は近郊の桃園村(現久居市)の「桃林は平野一帯十数町に亘り・・・花時観客多し」と紹介し、「津市よりの自動車軌道の敷設亦近日に竣功すへし」と記している。この「軌道」は大日本軌道伊勢支社の軽便鉄道(のちの「中勢鉄道」)で、41年11月久居町より安濃郡神戸村半田(現津市)地内の阿漕仮駅まで、翌42年1月に津市岩田まで開通した(『三重県史』資料編 近代3)。

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