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松名瀬塩田(飯南郡西黒部村松名瀬)


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 平城宮跡から出土する塩を納めた木簡などから明らかなように、伊勢志摩地方は古代から製塩が盛んであった。江戸時代になると、遠浅の海岸に入浜式の塩田が作られ、大規模な製塩業が展開される。その中心になったのが東・西黒部村や松名瀬村(現松阪市)で、特に西黒部村が紀州藩の新田開発政策のため製塩を廃止すると、松名瀬村はその販路を獲得して、ますます生産が拡大された。明治22年(1889)松名瀬村は西黒部村と合併するため、『三重県案内』には「松名瀬塩田 西黒部村大字松名瀬(東浜、西浜)に在り・・・反別二十余町歩を有し、一年間生産高二百万斤、価額二万四千円に達す、製造方法は普通製塩法に依り、製品は東京以西各県へ搬出せらる」と紹介されている。

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