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各進む地域の資料整理−1953年の災害 小杉区文書


「水害被害の調査書」(伊賀市小杉区所蔵)

「水害被害の調査書」(伊賀市小杉区所蔵)


 梅雨の時期が続いているが、やがて台風シーズンが訪れる。過去には伊勢湾台風をはじめ数多くの水害があり、県内に大きな被害をもたらした。伊賀市の小杉区(旧伊賀町)では、地域の文書を自分たちの手で整理し、後世に伝えていこうという活動が行われている。月1回の割合で地元の人たち5〜8名が集まり、県史編さんグループと協働で整理作業を進めている。今回は、その中から災害関係の資料について取り上げてみたい。
 今から53年前の1953(昭和28)年9月15日、台風13号が県下各地に被害をもたらしたことはよく知られている。伊賀地方では、そのちょうど一か月前にも大きな水害に襲われ、災害復旧に関する陳情書が作成されていた。その控えが小杉区文書の中に残されている。「昭和二十八年八月十五日『東近畿大水害による災害復旧に関する陳情書』阿山郡島ヶ原村外二十三ヶ町村」という印刷した小冊子である。55年に亀山測候所が編集した三重県発行の『三重県災害史』によると、この時の災害は、前線性豪雨によるものであり、「伊賀から北勢地方に豪雨を降らせ、殊に伊賀地方における被害は近代未聞の大被害を惹起し、其の惨状は目を覆はしむるもの」であると記述している。
 陳情書では、「雷を伴う大豪雨は、山津波と激流を引き起こし、未曾有の大被害を生じるに至り、伝来の美田が瓦礫の川原と化し、道路は寸断され、家屋橋梁は流失し、溜池堤防は決壊し、交通通信は全く途絶し、人命を喪失した者十有余名、負傷者に至ってはその数二百有余名を算し、物心両面に亘り関係町村民の受けた打撃は言語に絶するものがある」とし、県費分を除いた町村費の被害総額は63億円余に及んだと記す。そして、「例年相次ぐ災害の復旧途上において、今またこの大災害に遭遇し、貧弱にして窮乏その極に達した町村財政をしては、如何ともなし難い状況である」として、大水害に関する諸特例法の適用と予算措置を懇願している。
 この「例年相次ぐ災害」とは、前年の52年6月24日に紀伊半島南部に上陸した「ダイナ台風」と7月の低気圧・梅雨前線による大雨によるもので伊賀地方も多くの被害を受けた。小杉区には『ダイナ豪雨・その他七月被害調査綴』や『八月十五日・台風十三号埋没流失調査書』、『畦畔崩壊調査書』など保管されており、この地域の災害史の資料として貴重なものである。
 ところで、小杉区は旧伊賀町に属したが、これまで特異な変遷をたどってきた地区でもある。近世では、柘植郷に属し、1872(明治5)年5月に大区・小区制が導入されると、柘植郷の大部分の村は第9大区5ノ小区に属したが、小杉村だけは中友田村や玉滝村、西湯舟村など旧阿山町の村々と第9大区4ノ小区に属することになる。その後も上友田村や西湯舟・東湯舟村との連合戸長役場をもち、1889年の市制・町村制により友田・湯舟の各村々とともに鞆(とも)田(だ)村となった。1954年12月に、いわゆる昭和の大合併でいったん阿山村になるが、翌55年に旧小杉村は阿山村から分離し柘植町に編入され、59年に伊賀町となる。
 整理中の資料には、災害関係以外にも町村合併に関する書類綴や町村境界変更に関する申請書などが含まれており、昭和の合併時の経緯を知ることもできる。平成の大合併により旧役場文書や区有文書の散逸が危惧されているが、小杉区のように自分たちの手で歴史資料を保存していこうとする活動に期待がもたれる。

(県史編さんグループ 服部久士)

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