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合併後に一転 保存決定−登録文化財 旧明村役場



 登録文化財という言葉をご存知だろうか。このいささか聞きなれない言葉は、1996(平成8)年に国(文化庁)が定めた文化財登録制度によって文化財登録された建造物のことで、正式には「登録有形文化財」という。
 私たちの周辺には、将来に残したい身近な風景や建物がある。例えば、こうした建物について、外観をあまり変えることなく内部を改装し、ホテルやレストラン、資料館といったものに活用することで、文化財をゆるやかに守っていこうとする、全く新しい発想から生まれた制度である。そのため、従来の指定文化財に見られる保存のための強い規制はかからない。ただし、大規模な現状変更の場合は、届け出が必要なこともある。
 対象となるものは、住宅や工場、社寺等の建築物や橋、堤防、トンネル、ダムといった土木建造物など様々で、煙突や塀、櫓(やぐら)等も該当する。かなり幅広いものである。
基準は、「築後50年を経過したもの」で、@国土の歴史的風景に寄与しているものA造形の規範となっているものB再現することが容易でないもののうち、どれか一つでも満たしていれば登録は可能である。
 三重県内には、現在58件の登録文化財がある。代表的なものに、建物では伊勢市の近鉄宇治山田駅舎や、四日市市の旧東洋紡績株式会社富田工場原綿倉庫などがあり、同倉庫は、今レストランとして活用されている。数で言えば、登録文化財はやはり建物が多い。少し変わったところでは、旧国道42号線(熊野街道)沿いの紀北町に江の浦トンネル(旧長島隧道)をはじめとするトンネルが3件ある。また、大台町の旧舟木橋や菰野町・朝明川上流部の砂防堰堤群なども登録文化財である。このほかにも、三重県内には登録文化財の候補となる建造物がまだまだあると言える。
 ここに紹介する津市芸濃町林の旧明村役場は、昨年秋に新規登録された、県内で最も新しい登録文化財である。
 木造二階建(一部平屋)・寄棟造・桟瓦葺きで、1916(大正5)年に河芸郡明村の役場として建築された。1956(昭和31)年の町村合併によって芸濃町になると、同町明支所となり、さらに明連絡所を経て、1971(昭和46)年に芸濃町郷土資料館となった。なお、明村は忍田・楠原・中縄・楠平尾・林・萩原・福徳の大字からなり、一部が58年以降亀山市や関町に属したが、大半は芸濃町であった。
 敷地が南側と西側で道路に面する角地のため、南西角に入口を設置し、石の門柱を配している。庁舎もこの立地を生かして同じ角に正面玄関を設け、ポーチを張り出して二階はバルコニーとしている。さらにその上の大屋根に妻を設け、明村の「明」を象った意匠を配している。このように、建物の隅で正面性を強調する手法が大きな特徴である。
 総二階部分は下見板張で、二階の一部に上げ下げ窓が用いられるなど全体に洋風の要素が強い。しかし道路に面していない、言わば目に付きにくい部分には、伝統的な和風建築の技術も用いられている。内部は一階が事務室で二階が議場となっており、ここにも洋風の意匠が散見される。設計や施工に携わった者の名前を記した関係書類等は残っていないが、地元では浦野甚松という技術者が手掛けたと言われている。同家には、当初の設計図面(青焼きコピー)が7枚伝わっており、計画や技法が明確に判明する点でも貴重なこの資料は、子孫の方によって芸濃町(現津市)に寄贈された。
 『三重県史』別編「建築」では、「当地域の近代化の足跡を示す象徴的な建物」と評価し、当時の町村役場の中では「際立って洋風要素が強く」、「町村部への近代建築技術の波及を示す一例として価値が高い」と結論付けている。
 この建物は、近年柱や床の一部が腐朽し、じわじわと破損が進行していた。旧芸濃町は解体を決定していたが、昨年1月の合併後、津市が保存する方向を示した。大正初期の官庁舎は全国的にも珍しく貴重であると判断したためで、登録文化財の新規登録もその一環である。今後、修復作業やその活用を巡っては、何かとむずかしい問題もあって様々に議論されることと思う。しかし、まずはこの貴重な建物が市町村合併によって残されたことを素直に喜び、登録文化財の趣旨に沿った前向きな保存計画が検討されることを期待したい。

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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