8 県下の棟札とその特徴
Q 三重県内には神社の棟札が多く残存していると聞きました。棟札の意義とか、残存状況などについて、わかっていることを教えてください。 (平成七年八月 県内個人)
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A 棟札とは、建物を新築又は再建、修理した際に、施主や施工者(大工)の名前、年号などを記した板のことで、通常は上部が駒形で棟木に打ちつけます。古い時期には棟木の下面に直接書いた棟木銘が多いのですが、鎌倉時代以降は棟札が増えてきます。 わが国に現存する最古と認められる棟札は、岩手中尊寺所蔵の保安三年(一一二二)のものですが、文字が不明瞭でどの建物なのかはわかりません。これに続くものに、天治元年(一一二四)の中尊寺金色堂の棟木銘や永暦二年(一一六一)の奈良・当麻寺本堂の棟木銘、正治元年(一一九九)の奈良・東大寺法華堂の棟札などがあげられます。 棟木銘は、文字通り棟木の下に書くため、行数も限られ、記載も簡単です。棟札も当初は同様でしたが、時代が下がるにつれて次第に詳しく書かれるようになり、板の裏にも書くなど、近世になるとかなり長文のものも造られるようになりました。棟札は、建物が失われてもそれだけが残ることが多く、現存する建物と棟札が必ずしも一致するとは限りません。これは、社殿を造替する神社建築に多く見られる要素です。 棟札は、記録の少ない時代にとっては貴重な史料で、大切にしなければなりません。大工などの名前を知り、建物の技術史的な研究の資料となりますが、それだけではなく、建物の建築に関わった地域の有力者たちの動きや状況もわかるのです。 三重県内の棟札の特徴としては、神社棟札の数の多さをあげることができます。三重県は、明治三十九年(一九〇六)頃から何年かにわたって政府が断行した神社合祀政策をかなり強力に推進しました。このため、各神社に伝わっていた棟札が一ケ所に集められ、結果としてかなりの棟札が残ったのです。 芸濃町の美濃夜神社には久安五年(一一四九)以降の棟札三二枚、青山町の種生神社には応永二十六年(一四一九)銘のほか七枚の棟札があり、県指定の文化財に指定されていますが、ほとんどは未調査の状態です。 しかし、最近、市町村の教育委員会などが中心になって、少しずつながら調査が進んできました。熊野市や御浜町では、既に調査報告書が刊行されています。県史の編さん事業でも、神社調査の際に棟札を積極的に取り上げ、かなりの数のデータが蓄積されました。その成果の一部は『三重県史』の「別編(建築)」で紹介されています。 |
参考文献
『神社棟札』 熊野市教育委員会 昭和六十三年
『御浜町の神社と棟札』 御浜町教育委員会 平成七年
『三重県史』 別編 (建築) 平成十五年
種生神社 棟札