むかし、伊勢から熊野へ向かう時には「くまのみち」、熊野から伊勢へと向かう時には「いせみち」といって、同じ道でも行く先によって呼(よ)び方をかえておったんじゃ。
多くの旅人が行(い)き交(か)うこの街道(かいどう)沿いの野篠(のじの)にはな、旅人たちを接待(せったい)する接待場(せったいば)があったそうな。ここでは、街道を行く人にはお茶を出して、憩(いこ)いの場としてたいそう賑(にぎ)わっておったんじゃと。
そして、ここにはお地蔵(じぞう)さんが立っておってな、旅人の安全を見守ってくださっておった。旅人たちは、このお地蔵さんを「接待地蔵(せったいじぞう)」と呼んでおったそうな。
「接待地蔵さん、わしらみんなが無事にお伊勢さんに到着(とうちゃく)できるよう、見守っていてくだされ」
旅人たちは、手を合わせて旅の安全を祈(いの)り、かるい足取りで出発していくのじゃった。
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野篠
現在の玉城町野篠
接待
もてなすこと
接待地蔵
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やがて時代は流れ、当時の面影(おもかげ)がなくなった頃(ころ)には、稲干場(いなほしば)になっていったそうな。秋の獲(と)りいれが始まると、村人たちの作業場となり黄金(こがね)色した稲(いね)がところせましと並(なら)べられておった。
そんなある夜のこと、音七さんというお百姓(ひゃくしょう)さんがいつものように仕事を終え、
「今日もよう働いたのう。ゆっくり寝(ね)るとするか」
と眠(ねむ)りについたんや。すると、夢枕(ゆめまくら)に
「稲干場を掘(ほ)ってくだされ」
というお告げがあった。
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音七さんはこれは何かあると思い、翌朝(よくあさ)、稲干場を掘ることにしたそうな。
「ここを掘れば、きっと何か出てくるはずや」
とまるで宝物(たからもの)を探すみたいに掘り続けると、音七さんの目の前にあらわれたのは、お地蔵さんを祀ってある台座じゃった。
音七さんは、
「これは大変なことや。お地蔵さんが埋(う)もれたままになっておるぞ」
とあちこち掘ったんじゃと。何日も何日も掘り続けたんじゃが、お地蔵さんは見つからへんかった。
「このままでは、お地蔵さんも成仏(じょうぶつ)できずに困っておるじゃろう」
心やさしい音七さんは、石屋さんに頼んでお地蔵さんを彫(ほ)ってもらうことにしたそうじゃ。
こうしてお地蔵さんは、むかし接待場としてにぎわった街道沿いに祀られ、今でも当時の面影をしのばせながら、人々の安全を見守っていてくれとるとのことじゃ。 |
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