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大内山村 ちからもちのこうすけさん
力持ちの幸助さん
大内山村には幸助さんという力持ちのお話が残っています。
幸助さんはどれくらい力持ちだったのでしょうか…。

お話を聞く

 明治の中ごろのこと、大内山村に幸助(こうすけ)という、たいへん力持ちの人が住んどった。この幸助さんは子供が大好きでちょうど良寛(りょうかん)さんのような人やったんやって。
 ある時、力持ちの幸助さんは、丹精(たんせい)込めて作った米を隣村(となりむら)の錦(にしき)へ売りに行くことになったんや。その日、十六貫(かん)もある米(こめ)を「おこ」で前と後に一俵(いっぴょう)ずつくくりつけ、ひょいとかつぎながら峠(とうげ)の山道を越(こ)えて錦へと歩いてった。
 この米が思ったよりも高(たこ)う売れたもんで、幸助さんがニコニコ顔で帰りの峠にさしかかったとき、いきなり泥棒(どろぼう)が飛び出してきて、
「金出せ!」
と短刀(たんとう)を突(つ)きつけた。この泥棒は、行き道から幸助さんをねらっとって、先回りして峠に隠れとったんや。
用語説明
良寛
江戸後期の歌人・僧。諸国行脚(しょこくあんぎゃ)ののち故郷に閑居(かんきょ)。万葉調の歌風で童心にあふれる。

錦(にしき)
現在の紀勢町(きせいちょう)の錦(当時は錦村であった)

十六貫(かん)
約60キロ、米一俵は十六貫

おこ
天秤棒(てんびんぼう)



 突然のことにびっくりした幸助さんやったが、
「せっかく一年がかりで作った米代を、なんでお前にやらんならんのや!」
と、はらわたが煮えくり返るほど業(ごう)わいて、泥棒の横っ腹めがけ「おこ」を力まかせにぶん回した。何しろ天下無双(てんかむそう)の力持ちの一撃(いちげき)や、泥棒さんもたまったもんじゃない。そのまま横っちょにふっ飛ばされ、勢いあまってはるか下の谷底へドスーンと落ちてったんやって。
 またある年の暮れ、幸助さんは村の若い者(もん)とお伊勢さんへ年越(としこ)し参りをすることになったんや。五人ほど連れだっての参宮途中、ある集落で大勢の人だかりがあったんや。そこでは、力自慢(ちからじまん)の若者(わかもの)が六十貫くらいの石を持ち上げようとしとったんやが、びくともせん。
 
やらんならん
代償(だいしょう)なく渡さねばならない

業(ごう)わかす
腹(はら)を立てる

六十貫
約225キロ



   
 そのうち、ひときわ体の大きい男が飛び出してきた。その男は年の暮れの寒い中、上半身裸(はだか)で、腕も背中も筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)のすばらしい体やった。見物人がかたずをのんで見守っておるとおもむろに石に手をかけ、「ヤッ!」と気合を入れて石を腰(こし)のあたりまで持ち上げたんやが、それ以上があがらへん。男の顔はみるみる真っ赤になって、こらえきれず石を地面に落としてしもた。それでもたいしたもんや。
「すごいもんじゃのう。すごいもんじゃのう」
と、まわりの人たちが口々に誉(ほ)めそやしとったんやって。
 このさまをじっと見ていた大内山の五人連れは、ニヤニヤ笑いながら幸助さんの背中をつついた。その幸助さんもさっきからもううずうずしとったんやろ、前へ出たら無造作(むぞうさ)にその石をひょいと腰のあたりまで持ち上げたんや。あんまり軽々持ち上げたもんで見物人が目をむいてると、そのまま頭の上まで持ち上げて、背筋をピーンと伸ばし、石を持ったまんま見物人のまわりを一回りしたんやって。
「こりゃすごい」
「こんな力持ち、みたことあらへん」
 ぽか〜んとしとった人々は、はっと我(われ)にかえってどっと幸助さんをはやし立てたそうや。
幸助さんの友達は鼻高々(はなたかだか)で、みんなに聞こえるように言うた。
「なんやー、幸助が持てるような石ならかーるいもんじゃのう」
 すると他の連中も
「そうじゃ、そうじゃ。俺等持つまでもない。かーるい石や」
と、負けずに大きな声で相槌(あいづち)をうった。どぎもを抜かれた見物衆(けんぶつしゅう)が目をまん丸にしておる中を大内山五人衆(ごにんしゅう)は肩で風を切って、一路(いちろ)お伊勢さんへ…五人の心中や正(まさ)に思うべしというところであったやろなー。
 
誉めそやし
声をたてて誉めたたえる。



読み手:服部 久さん