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海山町 たねまきごんべえ
種まき権兵衛
「権兵衛が種まきゃカラスがほぜくる」の俗謡で知られる権兵衛さん。
畑仕事では今ひとつでも、
鉄砲の腕前は名人級だった権兵衛さんが、大蛇を退治したお話です。

お話を聞く

 むかしむかし、便ノ山(びんのやま)村に上村(うえむら)権兵衛(ごんべえ)という人が住んどってなあ。
 権兵衛さんは、畑仕事はへたで、荒(あ)れ地をたがやして種(たね)をまくんやけど、まいたところから種をカラスや小鳥に食べられてしまう。そんな権兵衛さんを、子どもらは、
「権兵衛が種まきゃ、カラスがほぜくる」
と大きな声でようはやしたてたもんじゃ。
 しかし、権兵衛さんはちょっとも気にせんと、畑仕事をようがんばった。畑仕事は、むかし武士やった権兵衛さんのとっつあんが望んどった仕事でな。とっつあんが亡くなったあとも権兵衛さんがようがんばったんで、ついに村一番のお百姓さんにになったんじゃ。
 畑仕事は、日頃のがんばりが実ってうまくなったんやけど、鉄砲(てっぽう)をうつのは、武士やった親ゆずりで権兵衛さんもうまかった。田畑を荒らす獣(けもの)や鳥をうっては村人たちに喜ばれ、権兵衛さんは鉄砲の名人として遠くの村々まで知られていたそうじゃ。
 そのころ、村近くの馬越峠(まごせとうげ)には、伊勢(いせ)や那智(なち)へ行く旅人や巡礼(じゅんれい)たちがようけ行き来しとったんやけど、あるとき、その付近の山中に大蛇(だいじゃ)がすみついてな。ときどき出ては人におそいかかったんで、村人や旅人たちはえらい困ったんじゃと。
用語説明
便ノ山村
海山町便ノ山。権兵衛の菩提寺、宝泉寺や、権兵衛屋敷・日本庭園・展示室などを整備した「権兵衛の里」がある。


馬越峠
海山町と尾鷲市の境をなす峠道。かつて熊野詣(もう)でや西国(さいごく)三十三ヵ所巡(めぐ)りに大勢の人が歩いた熊野古道で、広々とした石畳道(いしだたみみち)がつづいている。



那智

和歌山県那智勝浦町。熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)や西国三十三ヵ所巡りの一番札所(ふだしょ)、青岸渡寺(せいがんとじ)がある。


どいらい
大きい

鹿笛
鹿をさそい出すために吹いた笛


天狗倉山
尾鷲市の北東にある標高522メートルの山、山頂からは尾鷲市街地・尾鷲湾が一望できる。



 
 それを聞いた権兵衛さんは、
「わしが退治(たいじ)したらー」
と言って、大蛇を退治する方法をあれこれと考えたんじゃ。なんにしてもこの大蛇、鹿(しか)うちにいく猟師(りょうし)らのうわさでは、胴体(どうたい)が苔(こけ)だらけで岩のようにかたく、ものすごいどいらいそうや。権兵衛さんは、大蛇を仕とめるにはいつもよりかたい弾(たま)がいるやろうと、鉄の棒(ぼう)を溶(と)かして弾をつくったんじゃ。
 そして次の日、大蛇退治の準備をした権兵衛さんは、大事にしている鉄砲を肩(かた)にかけ、お守りにしているズンベラ石を着物のふところに入れて、馬越峠へ出かけてった。このズンベラ石は、願かけすると大きくなって身を隠(かく)すことができるというありがたい石で、権兵衛さんはいつもいつも肌身(はだみ)はなさず持っていたんじゃ。
 馬越峠で何日も待ちつづけたが、なかなか目当ての大蛇は現れん。それでも権兵衛さんはあきらめんと、鹿笛を吹きながら馬越峠の道ばたのしげみに身を隠して待っとったけど、やっぱり大蛇は現れんかった。
「やれやれ、ここにはおらんのかのう」
と、今度は場所を変えて、馬越峠よりさらに高い天狗倉山(てんぐらさん)のてっぺんちかくで大蛇を待ちかまえたんじゃ。



   

 山に入って八日目。あたりが薄暗(うすぐら)くなってきたころ、かすかにシダの葉がゆれ、
 ザア、ザア、ザア
という音がしてきた。近くには何かがいるようだ。ひょっとしたら大蛇かもしれん、と権兵衛さんは息を殺してじっと待っとった。
 ときおり、あたりから聞こえてくる奇妙(きみょう)な鳥の声や、狐(きつね)の鳴(な)き声が静けさを破り、遠くの山々にこだまする。そうこうしているうちに、
 ザア、ザア、ザア
という音がしだいに大きくなってきたんじゃ。それにつれてシダの葉っぱも激しくゆれる。ほんそこに大蛇がいるけはいを感じた権兵衛さんは、鉄砲を持ち直して、いつでもうてる構(かま)えで待っとった。
と、大蛇がふいに現れ、かま首をあげ大きな口を開けて、権兵衛さんめがけておそいかかってきた。権兵衛さんはとっさにズンベラ石で身を隠し、できるだけ大蛇を近くに引き寄せ、大きな口をめがけて
 ズドーン、ズドーン、ズドーン
と三発続けざまにうちこんだんじゃ。
 さすがに怪物の大蛇も、権兵衛さんの鉄砲に急所をうたれ、たまらずのたうちまわって苦しみ、どくを吐(は)きながら山の斜面をころげ落ちていきよった。
 村人たちはその銃声(じゅうせい)を聞いて「やったー」と大声をあげながら峠へと急いでかけあがっていったんじゃ。そやけど、そこで見たのは大蛇のどくにやられ、道端(みちばた)に倒れている権兵衛さんやった。
 村人たちは、大急ぎで権兵衛さんを戸板にのせて村へ帰り、手当てをしたけど、大蛇のどくのために全体がぶくぶくにふくれあがり、そのまま亡くなってしもたんじゃ。
 村人たちは、権兵衛さんをねんごろにとむらい、権兵衛さんの活躍(かつやく)を今日まで語りついできとるんじゃ。




 
ほんそこ
すぐ近く


かま首
蛇(へび)などが攻撃の際、鎌のように持ち上げた首。


権兵衛の里


権兵衛の碑

便ノ山の宝泉寺境内に建ち、権兵衛が元文(げんぶん)元年(1736)に没(ぼっ)した、とある。

読み手:玉津 弘さん