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御浜町 みねやくろうものがたり
峰弥九郎ものがたり
紀州地方で、狩猟犬として用いられてきた紀州犬は、
昭和9年に天然記念物に指定された歴史ある犬の種類です。
御浜町には、この紀州犬にまつわるお話が残されています。

お話を聞く

 熊野(くまの)の奥山にある坂本村(さかもとむら)に、峰弥九郎(みねやくろう)という猟師(りょうし)が住んどっての。ふだんは田畑をたがやしたり、山野をかけめぐって狩(か)りをしたりしてのんびり暮らしやったんけど、戦(いくさ)がおこったときは、愛用の火縄銃(ひなわじゅう)をもって尾呂志(おろし)の殿(との)さまのもとへかけつけ、いくどか手柄(てがら)をたてた勇士(ゆうし)でもあったんじゃと。
 あるとき、弥九郎は新宮(しんぐう)へ用があって行ったんじゃが、帰りがおそうなってな。山道を歩いて、一升栗(いっしょうぐり)の峠(とうげ)まで来ると、もう日はとっぷりと暮れてしもた。峠をこえて、引作(ひきつくり)まで来たところで、
「夜道に日暮れはないわい。ここらでひと休みしょうか」
と、かたわらの石に腰(こし)をおろし、タバコを吸(す)い始めたんじゃ。
 と、暗闇(くらやみ)の中で、ごそごそ動いとるもんがある。弥九郎があたりを見まわすと、二間(にけん)ぐらいはなれたところで、何かがキラキラ光っとる。よく見ると、なんと一匹(いっぴき)の狼(おおかみ)の目玉やったんじゃ。
 でも、弥九郎は肝(きも)が太かったもんで平気でな、
「お前は狼やろ。そこで何をしやるんじゃ」
と言うと、狼は苦しそうに近づいてきてな。
「何か苦しそうじゃのう。わしが見たろか」
と、狼がだらんと開けている口の中をのぞきこむと、
「おお、おお、かわいそうに。大きな骨がささっとるぞ」
と、狼の口に手を入れて、さっと骨を抜いてやったんや。
「どうれ。そんなら帰るとしょうか」
 坂本の家に向かって歩き出すと、狼もトボトボと後をついてくる。弥九郎は、
「狼よ、もうこのあたりでええから、お前も帰って休め。そのかわりお前に子が生まれたら、一匹わしにくれよ」
と言って狼を帰し、家路を急いだんやと。
用語説明
熊野
三重県南部の北牟婁郡(きたむろぐん)から和歌山県南東部の西牟婁郡にわたる地の総称(そうしょう)。

坂本村
今の御浜町阪本。

尾呂志
御浜町尾呂志。戦国時代には尾呂志氏の城があった。

新宮
和歌山県新宮市。

一升栗の峠
御浜町柿原と引作の間の峠。

引作
御浜町引作。

二間
約4メートル。



 それから半年たち、狼のことなどすっかり忘れとった弥九郎が朝起きると、家の前でクンクンと子犬の鳴(な)く声がする。戸を開けると、一匹のかわいい子犬がまとわりついてきたんじゃ。よく見るとそれは狼の子やった。
「さては、前に助けた狼がわしの言うことを守って、この子をくれたんか」
と弥九郎は、たいそう喜んでな、子犬をマンと名づけて大切に育てたんじゃ。大きくなると狩りにも連れていくようになってのう。マンは、弥九郎も驚(おどろ)くほどすばらしい猟犬(りょうけん)となって、あたりでもその名が知られるほどになったんじゃと。
 そんなあるとき、新宮の殿さまから、
「佐野(さの)のご猟場で巻狩(まきが)りをするゆえ、猟師は集まるように」
とのお触(ふ)れが出ての。弥九郎もマンを連れて巻狩りに参加したんじゃ。
 殿さまが山の上でお供(とも)の人々と休んでいたときのことや。一頭の手負猪(ておいじし)が飛び出し、殿さまめがけて突(つ)き進(すす)んできたんじゃ。その速さというたら、もう、お供の者があれよあれよと、なすすべものうてのう。あわや、というとき、どこからか弥九郎のマンが飛び出してきて、手負猪ののど首をめがけて飛びかかり、かみ殺したんやて。
 危ういところを助けられた殿さまはたいそう喜んで、
「あれはだれの犬じゃ」
とおたずねになり、弥九郎とマンにたくさんの褒美(ほうび)を与えたんじゃと。
 弥九郎とマンは、その後も暇(ひま)さえあれば、山をかけめぐって狩りを楽しんどった。
 
巻狩り
狩場を四方から取り巻き、獣を追いつめて捕まえる狩り。

手負猪
けがを負った猪(いのしし)。



   
 そんなある日の夜、近くに住んどったおばが弥九郎を訪ねて来てのう。いろんな話をしたあと、おばは、
「弥九郎よ、お前がかわいがっとるマンは、狼の子じゃと世間では言うが、本当の話かのう」
とたずねるもんで、弥九郎は、これまでのいきさつを話したそうじゃ。
「そやけど狼は人間にどれほどかわいがられても、生き物を千匹食うと、次は飼い主をおそう、そう昔から言われとるぞ。イナゴ一匹でも生き物のうちに入るとのことじゃから、もうそろそろ千匹になるんじゃないか。用心したほうがええぞ」
とおばはつづけて言うた。
 外で聞いとったマンは、話が終わると悲しそうに三回、夜空に向って遠(とお)ぼえをし、姿を消したそうな。
 朝になってマンがいないのに気づいた弥九郎は、方々をさがしたが、マンは二度と現れなんだ。ただ、夜になると鷲ノ巣山(わしのすやま)の方から悲しそうな狼の遠ぼえが毎晩聞こえてきて、付近の人々は、
「あれはマンの鳴き声や」
とうわさしたんじゃと。
 有名な紀州犬は、弥九郎が育てたマンの血を引いていると言われとるんじゃ。
 
鷲ノ巣山
阪本の北方にそびえる標高807メートルの山。

紀州犬




読み手:坂本 浩子さん