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紀和町 いたやくろべえ
板屋九郎兵衛
紀和町には、奈良時代にまでさかのぼるという歴史ある鉱山がありました。
その中心であった板屋には、勘違いで妻を殺してしまった男の、
悲しい話が残されています。

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 入鹿(いるか)は南北朝の時代から名高い鉱山(こうざん)でのう。賃金(ちんぎん)が高かったんで、全国から人々が集まってにぎわっとった。その中心やった板屋(いたや)の里は、毎夜毎夜のかけごとやけんかも絶えず、そんな鉱山の荒(あら)くれ者らを子どもみたいにおとなしくさせた男が、板屋(いたや)九郎兵衛(くろべえ)や。板屋村の庄屋(しょうや)を務(つと)めながら博徒(ばくと)の親分もしとって、その気っぷのよさにほれる娘(むすめ)も多かったそうや。
 そんな九郎兵衛が年貢(ねんぐ)をおさめて結婚(けっこん)したのは、風伝峠(ふうでんとうげ)をこえた尾呂志荘(おろしそう)の庄屋の娘、お菊(きく)。絶世(ぜっせい)の美女(びじょ)で、そのうえ気立てもええ。二人の仲は人もうらやむほどやった。
 そやけど、いつまでたっても子どもができんでのう。お菊は一人で家にいるとさびしさが積もり、しだいにふさぎがちになっていったんや。九郎兵衛は、そんなお菊を心配して、
「子どもさえおれば、もとの明るい妻に戻(もど)ってくれるやろう」
と、彦八(ひこはち)という乳離(ちちばな)れしたばかりのかわいい男の子を養子(ようし)にもらったんや。お菊は彦八をかわいがり、すっかり元気を取り戻した。
用語説明
入鹿
紀和町中央部の地区。

博徒
ばくちを打つ人。

尾呂志
御浜町西部の地区。



 そうしてむかえた夏、盆踊(ぼんおど)りにむけて踊りの練習(れんしゅう)がはじまってな、今年は尾呂志の坂本村から久作(きゅうさく)という若者(わかもの)を師匠(ししょう)に招(まね)き、毎晩練習をしとった。久作は、長いこと町で暮らしとったんであか抜(ぬ)けしとってのう、久作をしたって練習に来る娘も多かった。
 そんな中で、ひときわ踊りがうまくて目立ったのがお菊や。お菊の実家は盆踊りがさかんなところで、子どもの頃(ころ)から毎年踊りは欠かさなんだんや。お菊の踊りに久作の目も吸(す)いつけられ、毎夜の踊りでの久作の目配りがうわさになってな、ついに、九郎兵衛の耳にも入ってしもたんや。
 いよいよ盆踊りとなった日の朝、お菊は、あいにく月のものをむかえてな、村のならわしで、月のものを見ると、村が建てた暇屋(ひまや)に入り、終わるまで過ごすことになっとった。お菊は、彦八を一人置いておくわけにもいかなんだんで彦八を連れて暇屋に入り、太鼓(たいこ)の音を聞きながら彦八をだいて、静かに寝(ね)たんや。
 いっぽう九郎兵衛は、恒例(こうれい)の盆のとばくを開いたものの、久作とお菊とのうわさが気になって、思い切った勝負ができなんで大負けしてしもた。
 がっくりと肩(かた)を下ろしながら家に帰ると、お菊の姿(すがた)がない。
「もしや、久作めとかけおちしよったか」
 九郎兵衛はかっとなって壁(かべ)の鉄砲(てっぽう)を取ると、風伝峠めがけて突(つ)っ走った。が、
「待てよ、けさがた家を出るとき、暇屋に入ると言うとったぞ」
と思い直し、今度は暇屋めがけてかけていった。
   



   
 暇屋について中をのぞくと、暗いながら、たしかにお菊が寝とる。しかも、一枚(まい)の布団(ふとん)に、二人だきあって寝とるやないか。九郎兵衛は我(われ)を忘れ、
「おのれ。久作とできとったんか」
と、ドスンと一発ぶっぱなしたんじゃ。弾(たま)がお菊の頭をうちぬき、広間が血にそまったそのとき、布団にもぐっていた彦八が大声で泣き出した。
「しもたっ」
 九郎兵衛はただ一言いうと、ポカンと立ちつくしてな、やっと夢から覚めたように我に返ると、そのまま近くの寺にかけ込んで和尚(おしょう)にことの次第(しだい)をざんげし、ただちに髪(かみ)をそって今入道(いまにゅうどう)になったんや。
 夜が明けると、里の人々にこのことをわび、
「わしは入定(にゅうじょう)してお菊のもとにまいる」
と告げ、彦八のことを人々に頼(たの)んだんやて。
 九郎兵衛は、板屋の所山の地に自分が入る石室を掘(ほ)り、精進(しょうじん)料理でからだの脂気(あぶらけ)を取り、入定できるからだに仕あげたそうや。
 いよいよ入定の支度(したく)ができると、村人は総出で九郎兵衛を見送った。
「つらいときは頼みに来いよ。一度は必ずかなえてやるぞ」
 そう言いのこすと石室の中に入って大きな岩を上にかぶせてもらってのう、中に入った九郎兵衛はすぐに座禅(ざぜん)を組み、鉦(かね)をたたいて心経(しんぎょう)を唱(とな)えはじめたんや。日夜を問わず鳴っていた鉦の音もだんだん弱くなり、唱えとった心経も七日目にはついに聞こえなくなって、入定を果(は)たしたんじゃと。
 紀和町板屋の所山には今も九郎兵衛の墓があり、さわると願いごとがかなうと伝えられとるんじゃ。
 
今入道
ただちに髪をそって仏門に入ること。

入定
生きたまま土の中に埋められ、仏の力によって生き仏になること。

心経
般若心経(はんにゃしんぎょう)

九郎兵衛の墓



読み手:坂本 浩子さん