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紀伊長島町 かんからこぼしとじろうざえもん
かんからこぼしと治郎左衛門
今も紀伊長島町に伝わる「親子盃」の行事の由来には、
心やさしく力持ちなお侍、治郎左衛門が
かんからこぼしの腕を切り落としたというお話が伝わっています。

お話を聞く

 ずいぶんむかしのことやけどな、奥熊野の長島浦(ながしまうら)に湊(みなと)治郎左衛門(じろうざえもん)という、気がやさしくて力持ちのおさむらいさんが住んどったんじゃ。
 この治郎左衛門は、白い馬を飼(こ)うとって、ある日、その白馬に乗って、隣(となり)の二郷(にごう)村へ用事に出かけたんやて。すっかりおそなったので急いで帰ろうと、やっと二郷村と長島との境(さかい)を流れる赤羽川(あかばがわ)のところまできたんやって。
 白馬にまたがり川をわたっとったら、川の真ん中あたしで急に馬はよう動かんようになってしもたんやって。
 治郎左衛門は、
「これ、どうしたことじゃ」
と何回もムチを入れたんやけど、白馬は一歩も動かんと、
「ヒヒーン」
と鳴(な)くばかりやったんじゃと。
 不思議に思(おも)た治郎左衛門は、ふと後ろを振(ふ)り向(む)いたら、ドングリまなこを光らせたかんからこぼしが、白馬のしっぽを両手でしっかりとつかまえとったんじゃ。
 おどろいた治郎左衛門は、
「何をすんのか、このかんからこぼしめ」
と太刀(たち)をぬくなりふりむきざまに、
「エイッ、ヤーッ」
と切りつけたんやと。するとかんからこぼしは
「ギャーッ」
とすさまじい悲鳴(ひめい)をあげ、じゃぼーんと川の中へ飛び込んで逃げてしもたんじゃと。
用語説明

かんからこぼし
カッパのこと。カッパと馬が一緒に出てくる話が多く「カッパ駒曵き考」と呼ばれる。

長島浦
紀伊長島町長島。

真ん中あたしで
真ん中あたりで




 やっと白馬が動き出し、やっとこさで長島へ着いたそうな。治郎左衛門はほっと一息ついて馬をよく見ると、なんとまあ、馬のしっぽの毛をつかんだままのかんからこぼしの右腕がだらりとぶらさがっとったんじゃ。
 無我夢中の太刀のひとふりは、みごと、かんからこぼしの腕を切り落としとったんじゃ。
 治郎左衛門はその右腕を家に持ち帰り、
「かんからこぼしが取り返しに来よったら、かまん、返り討(う)ちにしたる」
と、腕を床(とこ)の間(ま)にかざって、その前にどっかと座りこんで、毎晩、かんからこぼしがやって来るのを待ち受けとったんやそうや。
 長島浦では、この話がたいへんうわさになってのー。
「いつも海や川で、悪たれのかぎりをつくしとったかんからこぼしの親玉が、治郎左衛門さんにやっつけられたんやと」
「大事な右腕を、スパッときり落とされたんやって。その右腕を、ひと目でも見たいもんじゃ」
と、浦のもんは入れかわり立ちかわり、治郎左衛門のうちにやって来て、かんからこぼしの右腕をながめたそうや。
 その腕は人間の手によくにーとるけど、水かきがあってな、青黒くて、鋭(するど)いツメもはえとった。
「本当に気味の悪い腕やなあ。これでは泳いでいる最中(さいちゅう)に、尻子玉(しりこだま)をぬかれるはずじゃ」
と、浦のもんらは身をふるわせて話したそうや。
 
悪たれ
いたずら、悪い行い

尻子玉
肛門(こうもん)にあると想像(そうぞう)されていた玉。



   
 三日目の晩のことじゃ。毎夜寝(ね)やんと番をしとったので、さすがの治郎左衛門もかいだりかったかして、つい、うとうとしとったとき、
トン、トン
と、庭に面した座敷(ざしき)の戸をたたく音が聞こえてきたんじゃと。
 その音に気づいた治郎左衛門は、かんからこぼしが切られた腕をいよいよ取り返しに来たんかと、太刀をぬきはなって右手にもち、左手で戸をサッと開けた。
 暗い庭先には、案(あん)の定(じょう)、片手のかんからこぼしがしょんぼりと立っとったそうや。
 「お前は腕を取り返しにきよったか、取れるものなら取ってみよ」
と、治郎左衛門が太刀をかまえると、かんからこぼしはあわてて左手を思いっさくふって、
「と、とんでもない。お前さまの十人力(じゅうにんりき)にはほとほとまいったわい。鉄よりかったいわしの腕を、キュウリのようにスパッと切り落としたからのう」
とおびえている様子。
「では、なにをしにまいったのじゃ」
と、治郎左衛門がたずねると、
「お願いじゃから、右腕を返してくだされ。わしは熊野灘(くまのなだ)では、かんからこぼしの中でも親方じゃ。腕さえ返してくれたら、こんりんざい、お前さまの一族を海や川ではぜったい死なさんよってに!」
と平身低頭(へいしんていとう)してたのんじゃと。
その姿があまりにもあわれやったんで、治郎左衛門は右手を返してやったんじゃと。
 それから湊家(みなとけ)の人々は、海や川で水難(すいなん)にあう人は一人も出んかったんやって。
 そして四百年近くたった今でも、長島で漁業をしとるもんの家で、男の子が生まれると、初めてむかえるお正月の十一日に湊家に行き、親子の杯(さかずき)をかわす習(なら)わしがいまだに続(つづ)いとるんや。そうするとその男の子は、一生海で遭難(そうなん)することはないと信じられとるて。
 
かいだりかった
疲れていた

思いっさく
思いきり

熊野灘
三重県南部から和歌山県南東部にいたる紀伊半島東沿岸沖(きいはんとうひがしえんがんおき)の海域(かいいき)。

親子杯(おやこさかずき)
現在も、毎年十数人が親子の杯を受けている。



読み手:久保 幸夫さん


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