さて、いつごろのことやったやろかな。伊賀上野(いがうえの)の広禪寺(こうぜんじ)では、毎月一回、檀家(だんか)の人らが集まってな、方丈(ほうじょう)さんのありがたいお話を聞いたり、ごっつおをもってきてよばれたりして、楽しんでたんやげな。
あるとき、年のころ十二、三歳(さい)のほっぺたの赤いかわいらしい女の子が、台所仕事を手伝いに来るようになったんやして。よう働く気だてのええ子やったんやげな。
「小女良(こじょろう)や、おくどさんを燃やしつけたら、おぜんの上をふいとくれ」
「はい」
「洗(あら)い物がすんだら、おわんをふっきんでふいとくれ」
「はい」
「小女良さんは、ほんまに、よう気のつくええ子やなあ」
などとほめられ「小女良、小女良」と、近所の子どもたちにも好かれてたんやげな。かすりの着物をみじかめに着て、赤いたすきとまえだれをかけて、きりきりとよう働く姿(すがた)を見た人らは、心があったこうなる気さえしたんやして。
小女良は、いつも朝はよ来て仕事をし、夕方になると、残ったごっつおをおみやげにもろて、うれしそうに帰っていくのやして。
「小女良のうちはどこ」
と聞いたら、
「長田(ながた)の山」
と答え、
「親はいるの」
と聞かれたら、いつも大きくうなずいてたんやして。 |
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伊賀上野
三重県上野市。
広禪寺
徳居町(とくいちょう)の西南にある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺。応永(おうえい)21年(1414)頃に開かれたと伝わる。江戸時代には、伊賀一円の曹洞宗寺院を支配した格式の高い寺だった。
方丈さん
お坊さん。
やげな
だそうだ
やして
だって
おくどさん
米を炊(た)くかまがある場所。
長田の山
上野のまちから三キロほど西にある山。
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ある日のこと。お寺の台所では、朝から、よいにおいがただよってたんやして。なべいっぱいの油あげを炊いて、いなり寿司をこしらえようとしてたんやして。
さて、お昼前になって油あげにご飯をつめようとしたら、なんべん数えても油あげの数がたらんのやして。どうやら小女良が食べてしもたらしい、ということになったんやげな。方丈さんは、きびしく小女良にたずねたんやして。
小女良は泣きながら、
「お腹がすいて、おいしいにおいがしたさかい、つい……かんにんして……」
とあやまったんやけど、方丈さんは、これがくせになっては、と強くしかったんやげな。 |
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小女良は、泣きながらお寺を出ていったもんで、方丈さんは追いかけたんやして。小女郎は鍵屋(かぎや)の辻(つじ)の坂を走って下りてってな。田ぁの中の道をかけぬけ、竹やぶの中の長田橋をわたろうとしたとき、赤いまえだれをはずしてしもて、じゃまになった赤いおこしもぬぎすててしもたんや。そしたら、長い大きな茶色のしっぽが見えたんやして。走る足も姿も変わってしもたんやして。そのうちに方丈さんは、小女良を見失のうてしもたんやげな。
小女良は命からがら逃げたんやけど、あんまりにも一生けん命走ったんで、とうとう正体があらわれてしもたんやげな。小女良は、ほんとうは長田の山に住む狐(きつね)やったんやげな。後をふり向いても、もう方丈さんは、追いかけてきやへん。長田の山はもうすぐそこやったんで、ひと安心してゆっくり歩きはじめたんやげな。
そのとき、一人の猟師(りょうし)が、鉄砲(てっぽう)をかついで通りかかったんやして。今日は、一日中山の中を歩きまわったんやけど、えものは一匹(いっぴき)もとれへんだ。すると、目の前を一匹の狐が歩いてるんやして。これはええこっちゃ、とばかりに鉄砲をうったんや。
ズドーン
この音を聞いてな、方丈さんはかけつけたんやんか。そやけど、小女良狐は、もううたれた後で、ぐったりしてたんやげな。
あんなに気だてがようて、いろいろと手伝ってくれた小女良のことを思たら、方丈さんは悔(く)やまれてならへんだんや。そこで、お寺の中に小さな塚(つか)をたてて、手あつくほうむってあげたんやして。
徳居町(とくいちょう)の広禪寺のお堂の左側には、今も小さなほこらが建っててな。お稲荷(いなり)さまをお祀(まつ)りし、小女良狐の小さな石碑(せきひ)がおさめられてるんや。そして、小女良稲荷と書かれた赤い小さなのぼりが、ときどき風にひらひらしてるんやそうや。 |
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鍵屋の辻
伊勢街道(いせかいどう)と奈良街道(ならかいどう)の分岐点(ぶんきてん)で、日本三大仇討(にほんさんだいかたきうち)のひとつ、伊賀越仇討が行われた場所

小女良稲荷
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