国道一六三号の島ヶ原(しまがはら)大橋から北に入って、島ヶ原小学校の東側を五百メートルほど行ったところから東の方の山林は「まん山」といわれ、今でもキツネやタヌキが棲(す)んでいそうなところである。
むかしむかし、伊賀(いが)のある村に、彦太(ひこた)という若者がいたそうな。彦太は子どものころからちょっと変わっていて、言うことなすことがばかげていたんで、だれいうとなく「ぬけ彦太」と言われていたんや。
ある日、彦太は、一里ほど離(はな)れた親戚(しんせき)へ使いに行ったそうな。
ちょうど、まん山まで来たとき、村いちばんのべっぴんさんのお美代(みよ)という娘(むすめ)はんがな、日がさをさして、ふろしきづつみを下げて、前の方を歩いていたそうや。
それを見つけた彦太はなあ、
「おーい。お美代はーん。彦太だよう。待(ま)っておくれよう」
と、大きな声を出して、追いついて行ったそうな。するとお美代は恥ずかしそうに、
「これから親戚へぼた餅(もち)を持って行くんやけど、よかったら一つ食べてんか」
そう言って、ぽかぽか湯気の出ているぼた餅をくれたんやと。彦太は喜んでさ、そのぼた餅を木の葉に受けて、そばの松の木の下にしゃがんで、お美代とならんで仲よく食べていたんやげな。そこへ、村の人が通りかかって、
「彦太よ、そこで何をしてんどな」
と言うと、彦太は、
「ああ、このお美代はんにな、ぼた餅もろうて食べているとこやて」
と、うれしそうに言うたんやとな。村の人が、
「何言うてるんどな。お美代はんなんぞ、どこにもおらへんがな」
と言うと、彦太はびっくりして、そこらへんを見回したが、もうそのときは、お美代のすがたはなくて、手のひらの木の葉の上には、ぽかぽか湯気の出ている馬のふんがのっていたんやげな。
この話が村じゅうに知れわたると、彦太は友だちの太助からも、
「キツネに化(ば)かされるなんて、ばかなやつじゃ。おれも一度化かされてみていが、おれさまのようなえらい者(もん)は、化かされっこないわなぁ」
と言うていたそうな。 |
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ある日、親戚に祝(いわ)いごとがあってな、太助は夜おそうに酒に酔(よ)うてなあ、あっちへふらり、こっちへふらりしながら帰ってきたとな。前と後にいのたごちそうは、ぷんぷんとええ匂いがしていたと。
そのうち、まん山の近くまで帰ってきたら、前の重箱がえらい重うなってきたそうな。太助は、
「これはいけねえ」
と、担(にな)い棒をかげんしたとな。またしばらくすると、後が重うなってきたんやと。
「えろうごちそうがゆれるわい。重箱の中のタイやエビがおどってんのかなあ」
と、太助はますますごきげんになって帰ったそうな。 |
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ようやくしてなあ、自分の家の戸口まで帰って、
「おっかあよ、今、太助が帰ったよ。祝いの魚をうんといのてなあ」
と、舌をもつれさせながら言うたとさ。
「あー。どっこいしょ」
と言うて、重箱のふたを開けたとたん、ごちそうを待っていたみんながびっくりぎょうてんしたとな。重箱の中にはなあ、石ころや木の根っこやらが、ぎょうさんつまっていたというこっちゃ。
(前が重うなったり、後が重うなったときゃ、ありゃあキツネがごちそうを食べて、そのかわり石ころや木の根っこなど入れていたときだったんか。だまされるのは、ぬけ彦太だけと思っていたけど、このおれさままでが……)
そう思うと、恥(は)ずかしくて恥ずかしくて、穴でもあったら入りたかったんやと。
「どうかこのことは、だれにも言わんでおくれ。ないしょにしておくれ」
と、手をすりあわせて拝(おが)んだというこっちゃ。
母親は、
「あほらし。こんな恥ずかしいことだれにも言えるもんか」
と言ったんやげな。 |
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