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青山町 むしくいがね
虫喰鐘
大村神社の「虫喰鐘」は次々とこぶがなくなっていしまった不思議な鐘。
この鐘には、一人の娘の不思議な話が伝えられています。

お話を聞く

 阿保(あお)の大村神社に鐘(かね)つき堂があってな、そこには不思議な鐘があるんやで。
 鐘の上の方には、ふつうはたくさんのこぶがついてるやろ。
 そやけど、この寺の鐘はまるで虫に喰(く)われたようにただれててな、こぶが一つも残ってないんやげな。
 この鐘には、古くから言い伝えがあるんや。
 むかしここに禅定寺(ぜんじょうじ)ちゅう寺があってな。この鐘がつくられたのは、江戸(えど)時代の寛永(かんえい)年間のころと鐘に書かれてるんやけど、この鐘をつくるとき、地元で世話した人たちがあちこちに勧進(かんじん)に歩いたんや。
 地元の伊賀(いが)はもちろん、伊勢(いせ)や大和国(やまとのくに)の方までも足を伸ばしてな、銭(ぜに)や米、麦のほか、鐘の元になる刀や鏡など、いろんな鉄でできたものをもろたんや。
 大和国の葛城(かつらぎ)のへんに行ったとき、ある豪農(ごうのう)の家で、老婆から家宝にしてたという古い鏡を一面もらい受けてきてな、この古い鏡が、魔鏡(まきょう)やったんやげな。
用語説明
阿保
青山町阿保。

寛永(かんえい)年間
1624年2月30日〜1628年12月15日。江戸時代

勧進
社寺の建立・修繕(こんりゅう・しゅうぜん)のために金品を募(つの)ること。

大和国
今の奈良県。

葛城
奈良盆地(ならぼんち)南西部の地名。



 この鏡はどういう由来かはわからへんけど、豪農の家で代々、秘蔵(ひぞう)の鏡として人に見せることなく大切にしまわれていたそうやで。
 ところが、この豪農の一人娘(ひとりむすめ)が年ごろになったとき、両親に頼(たの)みこんでこの鏡をもろたんや。それからは、毎日毎日、この鏡に映(うつ)る自分の顔をながめていたそうやで。
 その娘の様子がおかしい、と両親が気づいたときは、もうおそかった。花の盛りのように美しかった娘が、鏡をにぎりしめたまま日に日にやつれていってな、心配した両親は、ありとあらゆる神さんにお祈りをしたんやけど、それも空(むな)しく娘は死んでしもたんや。
「鏡がたたったんや」
と、両親はえらい悲しんでな、年月がたって、勧進が訪れたとき、娘の供養(くよう)のために家宝やった鏡を差し出したんや。
 そんな魔鏡とはつい知らず、阿保に持ち帰ると他の鉄といっしょに鋳造(ちゅうぞう)されてな、鐘の一部になってしもたんやげな。
 こうして鐘はできあがり、鐘つき堂に吊(つ)り下られて朝夕、ええ鐘の音を阿保に響(ひび)かせてたそうやで。
 そんなある夜、草木も眠(ねむ)る丑三(うしみ)つどき、寺のお坊(ぼう)さんがぐっすり寝(ね)ている枕(まくら)もとに、女の幽霊(ゆうれい)が現れ、
 「この鐘には私(わたし)の魂(たましい)が鋳込(いこ)められている。私の魂を見せるから、鐘をつくときは、ようく鐘を見ておくれ」
 と言って、姿(すがた)を消したそうや。
 
鋳造
金属を溶かし、鋳型(いがた)に流しこんで形を造ること。

丑三つどき
今の午前二時から二時半。



   
 翌朝(よくあさ)起きたお坊さんは、
(不思議な夢を見るもんや)
と、気にせんだんやけど、それから不思議なことが次々と起こったんやげな。あるときは、娘の亡霊(ぼうれい)が現れて鐘の周りをさまよい、またあるときは、両手で鐘をなでては、さめざめと悲しみにふける姿が何度も見られるようになったんや。
 また、鐘の上の方についているこぶが、あたかも虫に喰われたように一つ落ち、二つ落ち、ついに全部落ちてしもてな。落ちたこぶは、夜になるとほたるのような光を放(はな)ったんや。鐘になった古い鏡が娘の怨霊(おんりょう)となって、この鐘を喰いつくさずにはいられんかったんやろうなあ。
 この鐘のうわさはまたたくまに広がって、多くの人が見に来たそうやで。
 そして「虫喰の鐘」と名づけられて、今に伝わってるんやげな。
 
虫喰の鐘



読み手:新 加津子さん