南条には、ちょっとかわったお地蔵(じぞう)さんがある。
このお地蔵さんは、六角地蔵というてな。花崗岩(かこうがん)でできた六角の石柱の各面に、人の心に住むという善悪(ぜんあく)の業、地獄道(じごくどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・阿修羅道(あしゅらどう)・人道(じんどう)・天道(てんどう)の六つの世界の様子が彫(ほ)ってあり、南条の人はもちろん、近辺の里の人びとからも厚く信仰(しんこう)されておる。
このお地蔵さんには、不思議な言い伝えがあってなあ。むかし、一人の修験者(しゅげんじゃ)が、中津原(なかつはら)から市之原(いちのはら)を通って前山に来たとき、
「おーい、おい」
と呼(よ)ぶ声が聞こえる。修験者があたりのススキの原を見わたし、ずうっと探(さが)してみると、一体のお地蔵さんがころがっておった。それがこの六角地蔵でな。ころがったまま
「わしもいっしょに連れていってくれ」
と言うもんで、修験者が背負(せお)ったら、ひょいとあがって意外に軽かったんやて。
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南条
多度町古野の小字
六角地蔵
花崗石
御影石(みかげいし)のこと。白っぽい色をした硬(かた)い石で、みがくと光沢が出る。
修験者
山野において霊験(れいげん)を得るために修行する人。
中津原
北勢町中津原。
市之原
員弁町市之原。
前山
多度町美鹿の小字。
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しばらく歩いて古野まで来たとき、修験者はお地蔵さんをおろしていっぷくしてなあ。
「さあ、出かけよう」
と、またお地蔵さんを背負おうとしたんやけど、こんどは重うてあがらん。
「ウーン、ウーン」
と何回もうなってあげようとしたんやけど、お地蔵さんはびくともせん。
「ひょっとすると、お地蔵さんはここがええのかもしれんな」
そう思うて、修験者はそのまま立ち去ってしもうた。
後になって、員弁の方からその地蔵さんの探し主が現れ、引き上げにきてな。
ところが、お地蔵さんをふごに入れ、四人がかりでつっても、あがらん。
「やっぱりここがええんやろう」
と、探し主はあきらめて帰っていったんやて。その後も、お地蔵さんを動かそうとした人はおったけど、足から根が生えているように動かなんだんやて。 |
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古野
多度町古野
ふご
物を載せて運ぶために竹やわらで編んだ道具。
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そのころから、不思議な出来事がおこってな。あるとき、お地蔵さんのほこらを建てた人がおったんや。その人が、体の具合が悪かったとこを医者にみてもろたら、その人の家にパッと明るい光がさしてな。その人は病が治って長生きするようになったんやて。
またある年のこと、古野の年貢米(ねんぐまい)を香取の港から運ぶとき、大風で船が転覆しそうになったんや。そのとき、お地蔵さんが、
「おーい。古野の船が転覆しそうになって助けを呼んどるぞ」
と三回叫(さけ)んで、村の人に告げた。それを聞きつけて若い者が集まって香取へかけつけ、船も年貢米も助けることができたんやて。
またあるとき、夜中に火事になった家があってな。このときもお地蔵さんが
「おーい、火事やぞう」
と三回叫んで、その家の家族を起こしてくれたもんで、みんな無事やったんやて。
そういうありがたいご利益(りやく)がある地蔵さんでな。今でも八月二十四日の地蔵盆(じぞうぼん)には、南条の各家から果物や菓子(かし)類を盆にもってお供(そな)えしてな。青年会が中心になって、太鼓(たいこ)や鉦(かね)をたたいて盛大に供養しとるんや。 |
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年貢米
一年の取れ高の何割かを藩などに出す。当時の税金のようなもの。
香取
多度町香取。 |
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