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長島町 かわだちじぞうのふしぎなゆめ
川立ち地蔵の不思議な夢
輪中の郷で知られる長島町は、昔から水害が多く、
お地蔵さんも沼田の中にあったので、高いところに上げようとしたら……
これは村を守る不思議なお地蔵さんのお話です。

お話を聞く

 むかしむかし、まだ江戸(えど)に幕府(ばくふ)が開かれる前のお話でな。
 今の木曽川や長良(ながら)川、揖斐(いび)川は、あるところでは一つにつながり、あるところではいく筋(すじ)にも分かれて、大小さまざまな島や中洲(なかす)をつくりながら海へ流れとってな。その島や中洲に人びとが住みついて田畑をたがやし、自分らの命や田畑を洪水(こうずい)から守るために村全体を堤防(ていぼう)で守る輪中をつくって暮らしとったんや。
 いつもは鏡のように空を映し出し、たくさんの恵みを与えてくれる川も、いったん嵐(あらし)になったりすると、人びとに襲(おそ)いかかり、何もかも流し去ってしまう恐(おそ)ろしい大河となってしまうんや。そんな中で、人びとが肩(かた)を寄せ合ってくらしとる西川輪中があったんやな。
 いつのころからかわからんけど、この西川輪中の堤防下の沼田に、一体のお地蔵さんが立っとってな、そのあたりは輪中の中でも、いちだんと土地が低いところで、洪水が起こるたびに水に浸(つか)かるんやさ。そのたびに、このお地蔵さんも水浸(みずびた)しになってな。まるで川に浮(う)かんどるように立っとった。それを見た村人はな、
「ありゃ、川立ち地蔵やな」
「いやいや、尻冷(しりひ)やし地蔵やわ」
 などと、好き勝手なことを言い合っとったんや。
用語説明
江戸の幕府
1603年に徳川家康が江戸に開いた

輪中
木曽三川(木曽・長良・揖斐川)下流の平野部に築かれたものが有名。

西川
長島町西川。

川立ち地蔵



 そんな村に、喜助(きすけ)という心のやさしい働き者がおってな。喜助は、お地蔵さんが長いあいだ沼田の中に立っとるのを気のどくに思っとった。そこであるとき、お地蔵さんを少しでも水の浸からんところへ移そうとええ場所を探(さが)しっとたんやけど、もともと土地の低い輪中やから、村の中で高いところはなかったんや。しゃあないんで、お地蔵さんを近くの堤防の上に運んで安置したんや。
(これでお地蔵さんも、安心やろ)
と喜助は喜んでな。いつものように仕事にかかり、いつもと変わらぬ一日を過ごして床(とこ)についたんやて。
 ところが、その晩(ばん)のことやった。寝(ね)ていた喜助は、うわごとを言うたかと思うと、突然(とつぜん)飛び起き、何を言うとるんかようわからん声を上げながら、この世のものとは思えんような仕草で暴れ回ったんや。家族はびっくりしながら、何とか喜助をおさえこんだんやけど、この日から喜助はいく日も同じことを繰(く)り返すばかりでな、家族は、村中の人びとに喜助のことを話し、どうしたらええんか相談したけど、だれも、どうして喜助がこんなになったのかわからず、途方(とほう)にくれて悲しむばかりやった。
   



   
 そうしていく日も過ぎたある夜、寝とった喜助の夢の中に、突然あのお地蔵さんが現れて告げたんやて。
「我(われ)は、水におぼれて死する人びとを救わんがために、水に浮かんで立っておるのじゃ。急いで元のところへ帰らせよ」
 夢から覚めた喜助は我に返り、たった今見た夢のことを家族に話したんやて。家族の者はどえらいおどろいて、すぐにお地蔵さんを堤防の上から、元の沼田に返したんや。
 すると不思議なことに、喜助はその日から、以前のようなやさしくて元気な姿(すがた)にもどってな。二度とふいに暴れるようなことはなくなったんやて。
 このお地蔵さんは、しばらくその沼田に立っとったんやけど、寛文(かんぶん)年間のころに、そこから一丁あまり北にある八十川原(やそがわら)に移され、大きな松の木の根元にお堂が建てられて、大事にお祀りされるようになったんや。今では語りつぐ人もなくなり、ひっそりとたたずんどるんやけどな。
 
寛文(かんぶん)
1661年4月25日〜1673年9月20日。江戸時代

一丁
約109メートル



読み手:山田 俊光さん