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楠町 さんにんじ
三人人
楠町の本郷には、「三人人」という変わった地名があります。
この地名には、昔、川の堤が切れて村中が水浸しになったときのお話が伝えられています。

お話を聞く

 本郷(ほんごう)というところは、西を鈴鹿川、南を高岡川、東を伊勢の海に囲まれた三角州(さんかくす)のいちばん上(かみ)にあってな、楠(くす)のはじまりとなった村なんやなー。むかしから農業が盛んやったもんでなー。水はとても大事にしとったんやけど、三角州やから、水に悩(なや)まされとった村でもあったんやなー。鈴鹿川と、そこから分かれた高岡川に囲まれとってな、大雨が降(ふ)りつづくと川の堤(つつみ)が切れてしもうてな、田畑が水や砂(すな)で埋まってしもて、えらい目におうてなー。
 大雨が降ると、村人らは、
「今度は切れるやろか」
「切れたらえらいことになるぞ」
と心配するんやけど、それが三日も四日もつづくと、心配を通りこして、恐(おそ)ろしゅうなってな。神様や仏様に、堤が切れんようにお祈(いの)りをしとったんや。
 そやけど、ある年の大雨で、その祈りもむなしく、村の西南の堤が切れてしもたんや。そこは三角州ではいちばん土地が高い上のとこやったんやけど、そこから水が入ったんで村中水浸(みずびた)しになってしもてな。いつもやったら、土地が高いとこから水が入ってくるとすぐ引いていくんやけど、このときは、大雨が何日(いっか)も何日(いっか)も降りつづいとったもんやで、堤の切れたところから入ってくる水が止まらんだんやわ。
用語説明
本郷
楠町本郷。



 村人らは総出で堤に集まり、一日も早う水を止めやな、と一生懸命(いっしょうけんめい)に働いたんやけど、水の勢いが強かったもんでなー。なかなか止めることができんだんや。
 困りはてた村人らは、家の中で手を合わせてひたすら神様や仏様を拝(おが)むばっかりやった。まだ気力のある者は堤に出て水を止めようとしたけど、暴れる川の前になすすべもなかったんや。
 するとそのとき、どこの人かわからんけど、三人の人が川に飛び込んでな。堤の切れたところに杭(くい)を立て、水を止めにかかったんや。
 その三人が一生懸命、杭を立てて水を止めにかかっているのを見て、村人らは、
「これはもう、行くしかないぞ」
と、つぎつぎに飛び込んでな、死にものぐるいで水を止めにかかったんや。
   



   
 荒れくるう水は、ほんのわずかなあいだに勢いが倍になって襲(おそ)いかかってきてな。まるで生き物のようやった。人の力に頼(たよ)るしかなかったむかしは、水を止めるのも命がけやったんや。
 みんなが力を合わせたおかげで、やっとのことで水を止めることができてな。
「助かったぞー」
 村人らは喜び合い、ほっとしたのもつかのま、
「あの三人の人にお礼を言わんならん」
「だれやったんやろう」
とあたりを探(さが)したけど、もう三人の姿は見えんかった。その後も三人を再び見た人はだれ一人おらんだんやて。「もしや、あの人たちは仏さんやなかろうかなあー」
「そうやわ。仏さんやったんや」
 村人らは、そう話すようになったんやて。それでこの恩をいつまでも忘れないように、と堤の切れた辺りを三人人(さんにんじ)と呼ぶようになったんやて。
 三人人というのは、文字通り「三人の人」という意味で、明治になるころまで本郷村の小字名(こあざめい)として残っとった。また、その少し先に、農業用水の取り入れ口の洞(どう)があるんやけど、この洞(どう)も、改修(かいしゅう)される前は「佛先洞(ぶっさきどう)」と呼ばれとってな。確かに、こういう話のことがあったんやろうと言われとるんやなあ。
 
かつて堤が切れた辺り



読み手:田中 明さん