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亀山市 わんきゅうづか
椀久塚
昔、亀山には椀屋久右衛門という椀作りの名人がいました。
亡くなってからも、村の人に椀を貸してくれたという、
不思議な椀久塚のお話を紹介します。

お話を聞く

 今から三百年以上もむかしのことやけど、阿野田(あのだ)の里に、椀屋久右衛門(わんやきゅうえもん)という椀(わん)づくりの名人がおってな。山の中の仕事場で久右衛門さんがつくった椀は美しく、使い勝手もええもんで、亀山のご城下(じょうか)はもちろん、京、大坂からも買いにくる人がおったほど、評判を呼(よ)んでおったのやて。
 久右衛門さんは、村人を集めて椀づくりの技術を教えておってな。おかげで、久右衛門さんの仕事場は、いつも大勢の人でにぎおうとった。木を切る人がおり、それをくりぬく人がおり、漆(うるし)を塗(ぬ)る人、荷造りをする人らが何人も何人も出入りして、それはそれは活気づいとったんやに。
 注文が増えるにつれて、山から木を切り出すことも多なってな。切り出した木を運んだり、できあがった品物を運ぶのに、道もようけ使うようになってな。その当時は、牛に車を引かせて荷を運んどったんやけど、坂がでこぼこしとって、人も牛もえらい難儀(なんぎ)やったんやて。
 そこで、牛がちょっとでも楽になるようにと、村人らが力を合わせてええ坂をつくってな。それが、今も阿野田の樺野(かばの)に残っとる「牛下ろし坂」なんやに。
用語説明
椀久塚
椀貸伝承(わんかしでんしょう)とも言う

阿野田
亀山市阿野田



 そんなこんなで阿野田の里はだんだん大きいなったんやて。村人はこれも久右衛門さんの椀づくりのおかげやと感謝してな。そやもんで、久右衛門さんが亡(な)くなったときは、村人はみんな悲しんで、りっぱな塚(つか)をつくってお祀りしたんやて。
 その塚は、お椀をふせたようにこんもりと盛り上がっとってな。村の人らは、「椀久塚(わんきゅうづか)」と呼(よ)んでたんや。
 ところが、この塚に不思議なことが起こるようになってな。村で寄り合いがあるときに、椀(わん)や膳(ぜん)が足らんだことがあったんさ。その家の者がたまたまこの塚の前を通りかかって、
「久右衛門さん。今度家にお客さんが来るのに、椀や膳が足らんのさ」
とつぶやいたら、あくる朝、塚の前にお椀やお膳が並(なら)べてあったんやて。
   



   
 それからは、婚礼(こんれい)やお弔(とむら)いなどがあったときには、村人はこの塚にお参りして、
「久右衛門さん、久右衛門さん、明日はお客がくるんで、お椀とお膳をこれこれの数だけ貸しておくれ」
とお願いすると、あくる朝には、塚の前に頼んだお椀やお膳が、ちゃんと人数分そろえて置いてあるんやて。
 村人は、用が済(す)んだらきれいに洗(あろ)うて塚の前に並べてな。
「久右衛門さま、ありがとうございました」
ってお礼をいって帰ると、いつの間にか無(の)うなっとるんやに。 ところが、中にはふとどきなものがおってな。借りたもんを返すときに
「どうせ誰(だれ)もみとらん、ちょっとくらい足らんでもわからへんやろ」
と、数をちょろまかして返したんやて。
 ところが、それからというもの、村人がどんにお願いをしても、お椀やお膳を貸してもらうことはできんようになったんやて。村人らは、
「久右衛門さんは、信義を大切にする人やったよってなあ」
と、心ようお椀やお膳を貸してくれた久右衛門さんをしのび、残念がったんやってさ。
 
ちょろまかす
他人の目をごまかして物を盗むこと



読み手:久野 陽子さん