むかし、むかしもずうっと、むかしの平安時代のころの話や。
弓の名人と言われとった大伴文守(おおとものあやもり)が、えみしっちゅうあばれ者をたいじに出かけるとちゅうでな、台風におうてしもうて香良洲(からす)のみなとへたどりついたんやて。
村の人らは、はるばる遠くまで戦いにいかれるのはなんぎなことや、えらいことや思うて、村でいちばんおどりのうまい香良姫(からひめ)のおどりを見てもらお、いうことになった。
香良姫はな、おどりも上手なんやけどやさしいむすめでな、旅のつかれを忘(わす)れてもらお思て、心をこめて、浜(はま)の砂(すな)の上をはだしで、それはそれはあでやかにおどったんやと。
そのようすを見てな、文守は、一目で香良姫を好きになってしもた。
どないしたら好きやいう気持ちをわかってもらえるやろか思て、一晩(ひとばん)、寝(ね)もせんとずうっと考えたんや。考えて、考えて考え抜(ぬ)いた末に
「よし。わしが命の次に大切にしておる弓をさしあげよう」
と、思たんやな。
それで、ようけある弓の中からかぶら矢を取り出してな、自分の気持ちをつづった手紙をはさんで、香良姫のおどった浜の砂の上につきさしたんや。 |
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えみし
蝦夷。古代、北関東から東北・北海道にかけて住み、当時の朝廷の支配に抵抗して従わなかった人々のこと。
香良洲
かつては「矢野」と言った。古くは「干洲」と書き「香良洲」は明治時代から
かぶら矢
矢の先にかぶらの形をしたものがついており、飛ばすと鳴るので、合図などに使う。
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実はな、香良姫も文守に心をよせとった。そやから、文守からの手紙のついた矢をそっと抜き取るとな、だいじにだいじに胸(むね)に抱(だ)いたんやて。
そうこうしておるうちに天気も良うなって、文守らはえみしたいじにいかなならんようになった。
「もう一度、お会いできる日を願うております」
と、文守は香良姫に、また会おういうて約束して、旅に出ていったんや。 |
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それからというもの、香良姫は雨の日も風の日も毎日、文守さまが無事におかえりになりますように、いうて香良洲神社に願かけした。
秋になり、冬になっても、香良姫は願かけをかかさへんだ。
雪みたいに真っ白にしもが降(お)りた朝のことや。香良姫が、いつものように願かけをして浜を歩いておるとな、向こうから馬に乗って誰(だれ)やらこちらへ向こてくるやないか。
よう見ると文守や。
「夢やないやろか」
思わず目ェこすって見てみても、目の前におるのは文守や。髪(かみ)もひげも伸(の)びておるけど、まちがいのう文守やった。
「姫、約束通り帰ってきましたぞ」
二人は、手を取りおうて無事を喜んでな、香良姫の願かけの話を聞いた文守は、さっそく二人で香良洲神社(からすじんじゃ)へお参りすることにしたんや。
この時、文守は神社の近くの古い松に馬をつないだもんで、いつのまにやらこの松をこまつなぎの松、と呼ぶようになったんやて。こま、言うのは馬のことや。
それでな、文守と香良姫は願いかのうていっしょになってな、仲良(なかよ)うくらしたんやて。
残念なことに、このこまつなぎの松は江戸時代(えどじだい)の地震(じしん)で枯(か)れてしもうたけど、村の人らは、文守と香良姫の話は忘れへんかった。
今も、香良洲神社のある香良洲公園(からすこうえん)にな、こまつなぎの松と、言われとるええ松があるけどな、これは文守が馬をつないだ松とは違うんや。 |
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香良洲神社
伊勢の皇大神宮(内宮)に祀られている天照大神の御妹神である稚日女命(わかひるめのみこと)を祭神とする神社。古くから「お伊勢詣りをしてお加良須に詣らぬは片参宮」といわれ、参拝者が絶えなかったといわれる。
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