かさくみのいわれ
和歌山街道が風呂屋川を越えるあたりに、
笠汲の川越という地名がありますが、その地名にはこんなお話が伝わっています。
昔な、まだ車もなんにもないころやけど、ここら辺を和歌山街道(わかやまかいどう)っていう街道が通っとたんや。その頃の道はなあ、柿野神社(かきのじんじゃ)前から待月旅館(たいげつりょかん)の所へ出て、そこから、今の道より上を通っていたそうや。みんな『上道』(かみみち)と言うとった上道は、寶積寺(ほうしゃくじ)の前を通って、いったん今の道へ出て、柿野小学校の下からは稲荷(いなり)さんのふもとを回るように通っとったんや。
この稲荷山(いなりさん)の方へ上がるかかりを『せったい』と言うんやけど、それはな、紀州の殿(との)さんやら、年貢(ねんぐ)の取り立てにやってくるえらい役人さんらに、ここでお茶をふるまってせったいしたもんでやそうや。
道はなあ、稲荷山の下をぐるっとまわって、途中(とちゅう)で右へ折れて、風呂屋川(ふろやがわ)を越(こ)すんや。今は、コンクリの橋がかかっとるで、すいすいと向こう岸へ行けるでええけど、昔は、板をかけて渡(わた)っとったんやって。
風呂屋川を越えて、来迎寺(らいごうじ)の下を通って東村の方へ出て、大石村、小片野村(おかたのむら)をぬけて、鳥羽見峠(とばみとうげ)、瀬戸峠を越えて、大河内から松坂へ出たんやって。
ところで、さっき言うた風呂屋川を越えるのを「笠汲の川越え(かさくみのかわごえ)」って言うんやけど、ここには、こんな話があるんやって。
柿野神社
飯南町横野(よこの)にある神社。国道166の近く
寶積寺
飯南町横野にある寺
風呂屋川
飯南町横野と深野(ふかの)の間を流れる川
かつて川を越えたあたり
来迎寺
飯南町深野にある浄土宗の寺
ずうっとむかしの大昔のこと。お月さんのきれいな夕ぐれのことや。
小さいお姫(ひめ)さんが乳母(うば)におんでもらって、おかあさんとお付きの女の人と一緒(いっしょ)に、風呂屋川へさしかかったんやって。
もちろんそのころ、橋なんかあれせん。着物のすそをたぐねて、わらぞうりのまま川へ入って、浅いとこを渡(わた)ろうとしたんやけど、その時、お姫さんが、川面(かわも)にうつった月を見て、
「あれ、川でお月さんがきらきらしとる。あの月さん、取って」
とねだったんやって。
「あれは、本当のお月さんと違うんやに」
と言うても、
「いやや、あんなにきらきらしとるんやもん。あのお月さん、ほしい」
ってきかへんのや。
乳母は、遠いところから旅をしてきた、まだ小さいお姫さんがかわいそうでな、おんどったお姫さんを母親にわたすと、持っておった笠(かさ)をとって、川の水をくんで、そこにお月さんをうつして
「ほれ、お月さんを笠でくみましたよ」
とお姫さんに見せてよろこばせたんやそうや。
今でもこのあたりを笠汲って言うんや。この話はこんな歌にもなっとるんやよ。
『せせらぎに映りし月を笠に汲む いわれもゆかし深野の里は』
読み手:磯田 生千子さん