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安濃町 やおびくに
八尾比丘尼
「おびが谷」「ひやけ塚」という地名が残る安濃町の草生には、
人魚の肉を食べて八百歳まで生き、
八百比丘尼と呼ばれたお里という娘のお話が伝えられています。

お話を聞く

 八百比丘尼(やおびくに)という人を知っとる。
 人魚の肉を食(く)って、八百歳(さい)まで生きたという尼(あま)さんのことやに。
 ふつう、人は八百歳までは生きられへんわなあ。なんでかちゅうたら、こんな話があるんやに。
 むかしむかしのことやけどなあ、経ヶ峰(きょうがみね)の中ほどにある草生(くさわ)の里に、お里という美しい娘(むすめ)が住んどったんやて。
 お里が十七の時のこと、村の無尽講(むじんこう)で人魚の肉が出されたことがあったんやて。
「人魚の肉みたいなもん気持ち悪いわ」
「腹(はら)こわしたりしやへんやろか」
 人魚の肉と聞いた村のもんは、気味悪がって食べやんだのに、お里は知らんとそれを食べてしもたんやて。
人魚ていうたら、上半分が人、下半分が魚の、あのおかしな生き物のことやに。
 めったにつかまることはないのやろうが、むかしから肉が不老長寿(ふろうちょうじゅ)の妙薬(みょうやく)になると言われとってなあ、そのせいやろか。お里は、その時から年をとらへんようになってしもたんや。
用語説明
無尽講(むじんこう)
みんなで協力して運営する金融組合のこと。一定の掛金を組合員が行い、一定の期日ごとに抽籤などを行って、決められた金額を順番に分けていく仕組み。鎌倉時代から行われていた。



 五年、十年ならまだええわなあ。
「お里は、いつまでもきれいやなあ」
と言われとったのが、二十年、三十年たって同い年のもんが、しわがより、白髪(しらが)が増えしていくのに、お里は娘の姿(すがた)のまんまなんやが。
「なんやら気色悪いなあ」
「何で年をとらへんのやろなあ」
と、村のもんは言いおうてなあ、
「人のふりしとるけど、ほんまは化け物とちゃうやろか」
「うかうかはたにおったら、なにされるかわからへんぞ」
と言い出すもんも出てきて、
「化けもんが村におんのは不吉(ふきつ)や」
と、村中がお里を白い目で見るようになったんやて。
   



   
「もう、この村にはおれやんわ」
 お里はいたたまれんようなって、一人さびしく村を出ていくしかなかったんやて。尼さんになって村を出て、国中を巡(めぐ)り歩いたということやに。
 途中(とちゅう)で病人を治したり、川に橋をかけたり、貧しい人を助けて田んぼや畑を耕したりして、ほうぼうで人につくしてなあ、そのうち、だれとなく八百比丘尼と呼(よ)ぶようになったんやて。
 何百年かして草生にもどって、長い長い一生を終えられたんやて。
 やっぱりふるさとが恋しかったんやろなあ。
 お里が生まれ育ったという場所が草生の神子谷(むこうだに)にあってな そこには常明寺(じょうみょうじ)というお寺の跡(あと)がある。
 このお寺が、八百比丘尼のお里が亡(な)くなったという場所でな。
 お里は、死ぬまぎわに
「黄金の鶏(にわとり)と縄(なわ)とを朝日照る、夕日輝(かがや)く二つ葉のもとに埋(う)めたれば、他日草生衰亡(すいぼう)の時来たらばこれを掘(ほ)り出せ」
という遺言(ゆいごん)を残したんやと言われとるんやに。
 今では、お里の墓やといわれとる神子谷の八百姫明神(やおひめみょうじん)の塚(つか)も、どこにあるのやらわからへんけどな、草生のあちこちに「ひやけ塚」やら「おびが谷」やら、八百比丘尼にゆかりのあるところがあるらしいに。
   



読み手:吉岡 美紀さん