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地域の文化資産

山田奉行発祥の地「有滝」

 徳川家康の一行が、天正10年(1582年)本能寺の変に遭い難を逃れるため、伊勢の白子浦から脱出した際、伊勢湾の入り口付近における海上の警備と取締の必要性を感じたのがきっかけとなり、慶長8年4月(1603年)有滝村の地先にあった小島の広山に山田奉行の始まりとも言うべき有滝陣屋が開設されました。
 
 幕府は、初代奉行に長野内蔵允友秀を任じ、七代目奉行花房志摩守幸次までの各奉行は、天領代官を兼務し、有滝に陣屋を構え、公事裁判等公務の執行に当たっては、山田高柳の公時役所に出向いて職責を果たしていました。
 
 有滝陣屋は、有滝町260番地付近にあったと推測されていますが確証はありません。
 
 ところが、元和元年(1615年)大阪夏の陣の頃、伊勢志摩地方に大災害が発生して、有滝陣屋もその居住性が懸念される程の被害を受けました。また、従来からの不便さもあり、寛永12年(1635年)山田奉行は、御船蔵とともに一切が小林村(現御薗町小林)へ移って行きました。
 
 御船蔵には奉行所用船の「虎丸」「孔雀丸」「千早丸」などの大きな軍船が係留されていました。この御船蔵跡(有滝町2022~2029番地付近)は今でも、「お蔵屋敷」としてその名が残り地域住民からも親しまれています。 

山田奉行発祥の地「有滝」
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