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地域の文化資産

祖霊社

 明治2年、氏神神社の祠官・祠掌のより斎行された神葬祭が、当祖霊社歴史の始まりであります。
 
 明治維新の大教宣布運動の流れの中で神宮司廳に神宮教院が設けられ、常明寺跡(現・倭町金刀比羅神社辺り)に説教所を開設、神道の普及活動が始まりました。
 
 この説教所は明治9年に宮崎文庫へと移り「神風講社」と呼ばれました。頃を同じくして、西南の役に出兵、名誉の戦死を遂げた神部出身者の慰霊祭を浦田長民少宮司が初代の斎主として執り行い、今日の霊祭の源となりました。さらに明治11年、現在地に祖霊舎が創建され、御本殿に造化神、信徒の祖先神霊がまつられました。その後、神風講社はさらに全国に広がり、当所は神宮第一教区本部、大神宮祠でありました。
 
 さらに明治38年には、財団法人「神都霊祭会」として固有の葬儀・霊祭を引き続き行うこととなりました。
 
 のち昭和28年、宗教法人「霊祭講社」、同56年には「祖霊社」と名を改め、現在に至っています。 

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