木造十一面観音菩薩立像 像高178.7㎝

もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう  


木造十一面観音菩薩立像 像高178.7㎝

指定区分

指定種別

有形文化財(彫刻)

指定・登録日

市町

多気町

所在地

多気郡多気町三疋田

所有者

三疋田区

員数

1躯

構造

-

年代

平安時代(後期)
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関連資料

概要

 本像は、霊山寺(れいざんじ)観音堂(かんのんどう)の本尊と伝えられ、内陣に安置される十一面観音立像2体のうち、向かって左側に安置される像である。
 像高178.7㎝、檜材、割矧造。材を縦に割り、内側を刳り貫いた後、再び合わせて仕上げる「割矧造(わりはぎづくり)」と呼ばれる技法で作られている。この技法は、一木造(いちぼくづくり)と寄木造(よせぎづくり)の中間的な技法で、11世紀前半以降に広まる技法である。面長の顔立ちや少し突き出した上唇、角を立てた衣文の彫りに、11世紀半ば近くに完成した定朝様式よりも古い要素を残しているが、やさしい目鼻立ちや比較的簡素な衣文構成、穏やかな丸みを強調した造形には定朝様式に通ずる要素がみられる。
 頭上の化仏(頭上などに配置される小さな仏)や両足先・左手指先・右手首先等は後の補修であるが、基本的な部分は当初のすぐれた彫技をよく伝えている。平安時代後期(11世紀)の造型感覚をよくうかがわせる作品として貴重である。
 霊山寺観音堂の東隣の空釈寺(くうしゃくじ)に所蔵される江戸時代の書物「三疋田村(さんびきだむら)霊山寺観音略縁起」には、霊山寺は三疋田村の南の山上に開かれ、そこにこの像を安置したが、参詣に不便なため現在地に移したことが記されている。移された時期は不明であるが、江戸時代中頃には移されていたようである。

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