沼波弄山墓 附 沼波家墓所

ぬなみろうざんはか つけたり ぬなみけぼしょ


沼波弄山墓

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

桑名市

所在地

桑名市新町56

所有者

光徳寺

員数

3基

構造

-

年代

江戸時代
関係サイト
関連資料

概要

 万古焼の始祖である弄山は、桑名の裕福な商人、沼波五左衛門重長(1718-77)の号名で、幼少から千覚々斎原叟(せんのかくかくさいげんそう、千家6代)や千如心斎(せんのじょしんさい、千家7代)に茶陶を学び、小向(おぶけ、現在の朝日町)に窯を開いた。江戸に出店を持ち小梅(東京都墨田区向島)にも開窯した。安永6(1777)年に没し、墓は光徳寺の本堂横に高く築かれ、弄山墓には法名西誉方岸道一居士と刻まれ、妻の墓も並んでいます。妻は射和万古(いざわばんこ)の創始者竹川竹斎の曽祖父竹川政栄の娘である。

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