旧崇広堂
きゅうすうこうどう
指定区分 |
国 |
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指定種別 |
史跡 |
指定・登録日 |
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市町 |
伊賀市 |
所在地 |
伊賀市上野丸之内78-1 |
所有者 |
伊賀市 |
員数 |
- |
構造 |
- |
年代 |
江戸時代 |
関係サイト | |
関連資料 |
概要 |
上野城二の丸の西土居(にしどい)側で、現在の県道津上野線に面して建てられている。 県下に残る唯一の藩校建築。文政4(1821)年に、藤堂家十代藩主高兌(たかさわ)により津の藩校有造館(ゆうぞうかん)の支校として建てられた。当初の建物は安政元(1854)年の安政伊賀上野地震により倒壊したが、再建されて、明治4(1871)年まで藩校として使用された。 古絵図によれば、再建後は講堂を中心とする東側の文場並びに各種武技場をもつ西側の武道場から構成され、敷地は約1ヘクタールに及んだ。今も文場の主要部は保存され、講堂、母屋、講師控室、有恒寮(ゆうこうりょう)、門、塀等が残る。平成2年度から半解体修理を実施し往時の姿に近づいた。 |
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