伊賀国庁跡

いがこくちょうあと


伊賀国庁跡

指定区分

指定種別

史跡

指定・登録日

市町

伊賀市

所在地

伊賀市坂之下字国町711番地、他

所有者

伊賀市ほか

員数

30586.17平方メートル

構造

-

年代

-
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関連資料

概要

 伊賀国庁跡は、三重県伊賀市坂之下(さかのした)字国町(こくっちょ)・前田に所在し、市内北部を西流する柘植川(つげがわ)右岸の段丘上に立地する。伊賀国庁の所在地については、従来柘植川対岸の沖積地が推定されていたが、平成元年以降の三重県埋蔵文化財センターおよび上野市教育委員会(当時)の発掘調査によって現在地が特定された。
 遺構についてはⅠ期からⅣ期の変遷があり、東西約41m、南北も同程度の掘立柱塀(ほったてばしらべい)で区画された政庁域(せいちょういき;国庁の中心部分で、国の役人が執務する建物が存在するエリア)の中に、正殿(せいでん)・前殿(ぜんでん)・脇殿(わきでん)等が配される。主要建物は、当初は掘立柱建物(地面に穴を掘って直接柱を据えた建物)であったが、Ⅲ期にあたる10世紀前半から後半にかけて礎石立建物(礎石のうえに柱を据えた建物)に建て替えられる。出土した墨書土器(ぼくしょどき;墨で文字を書いた土器)の中に「国厨」(くにのみくりや)と書かれたものがあり、また遺跡の所在地に「こくっちょ(国町)」と称する地名が残ることから、検出された建物群は伊賀国府の中枢である伊賀国庁を構成するものと考えられる。
このように、伊賀国庁は主要な施設の配置関係がほぼ判明し、遺構の残存状況も良好である。存続時期は8世紀末から11世紀中頃であり、古代律令体制の地方浸透と、古代伊賀の政治情勢を示すうえでも貴重である。なお、伊賀国は古代律令体制では下国(げこく)とされていたが、下国の国庁の実態がここまで判明したのは伊賀国庁が初めてである。

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