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みえの文化びと詳細

地域 伊勢・志摩地域
名前 岸田 早苗

岸田早苗さんトップ
斎宮歴史博物館の常設展示「葱華輦【そうかれん】」の前で。大変長く咲き続けることで知られる「ネギ」の花(ねぎぼうず)を模した珠が据えられた輿【こし】は、高貴な身分の人の乗り物として、伊勢に向かう斎王の群行にも用いられました。

プロフィール  令和4年度現在、斎宮歴史博物館の学芸普及課で課長を務める岸田早苗さんは、当該年度で定年を迎え、30年以上勤めてきた学芸員生活にいったんピリオドを打つことになります。

 三重県明和町の史跡「斎宮」は、古代から中世にかけて、天皇の代わりに伊勢神宮に派遣された皇女である「斎王」の住まいと、斎王を支える行政組織があった場所です。斎宮歴史博物館は、斎宮の実像解明と、その研究成果の周知を主な目的に、平成元年に設立されました。

 岸田さんは、開館直後の同館で学芸員生活をスタートし、同館の草創期を支えました。産休や埋蔵文化財センターへの2年ほどの異動をはさみつつ、平成14年まで同館に勤めます。

 その後、人事異動で旧三重県立博物館の学芸員になり、平成17年からは、三重県教育委員会で新博物館建設計画立案等に従事しました。そして、新博物館の設立が正式に決定した後、平成20年、新博物館建設部署に異動し、新博物館設立に尽力しました。それが実を結び、平成26年に三重県総合博物館(MieMu)がオープンします。この新博物館で岸田さんは、学芸員のリーダーの一人として活躍しました。

 岸田さんは、開館前後の斎宮歴史博物館を支えた一人であり、また、三重県総合博物館(MieMu)を建設から支えた一人でもあります。それぞれの館を作り上げた人たちの中で、その両方の館で足跡を残している人となると限られます。

 岸田さんがこれまでに手がけた企画展は数多く、博物館が収集する文化財と、集積してきた研究を、いかに県内外の皆さんに知ってもらうかに心を砕いてきました。

 岸田さんは、平成29年に再び斎宮歴史博物館の学芸員に戻り、そこで定年を迎えることになりました。様々な場所で仕事をしてきた岸田さんですが、やはり斎宮こそが居場所というイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか

(略歴)
昭和60年 皇學館大学国史学科を卒業
     三重県斎宮跡調査事務所・嘱託職員として入職
平成元年 斎宮歴史博物館が開館、同館調査課の業務補助員として入職
平成2年 学芸員試験に合格、同館学芸員として採用
平成5年 三重県埋蔵文化財センターに異動
平成7年 斎宮歴史博物館に異動
平成14年 三重県立博物館に異動
平成17年 新博物館建設計画立案等に従事
平成26年 三重県総合博物館(MieMu)開館、同館学芸員に従事
平成29年 斎宮歴史博物館に異動
令和元年 特別展「東雲の斎王―大来皇女と壬申の乱―」企画
令和4年 特別展「NARIHIRA―いにしへの雅び男のものがたり―」企画
令和5年 また新しいステージへ


記事  皇學館大学国史学科を卒業した岸田さんは、斎宮歴史博物館の前身「三重県斎宮跡調査事務所」で嘱託職員となりました。古代遺跡の解明には発掘調査が重要になります。大学では主に文献史学研究を学びましたが、考古学クラブで遺跡調査や発掘現場アルバイトなどの活動をしていて、同クラブ顧問の教授の勧めで就いた仕事でした。

 調査事務所での主な仕事は、発掘現場の図面作成や発掘調査で見つかった土器などの実測の準備など、発掘を専門に行う職員のお手伝いでした。ただ、同事務所は、正規職員と非正規職員の区別なく、興味があれば何でも積極的に勉強できる環境にありました。

 斎宮歴史博物館が開館し、同館の調査課の業務補助員となった岸田さんは、大学で取得していた学芸員資格を活かし、翌年に同館の学芸員試験に合格します。その後、岸田さんは、国宝や重要文化財の展示に必要な文化庁の美術取扱研修を修了しました。採用条件が「美術を専門にできる人材」だったためです。そのまま岸田さんは美術工芸の担当者となりました。美術史を専門に学んでいなかった岸田さんでしたが、現場で一から勉強し、専門性を身に着けていきました。

 現在、どこの博物館でも学芸員採用枠は狭く、大学院修了がほぼ必須になっています。岸田さんは「昔は『叩き上げ』の学芸員も多くいましたが、今は感覚が違います。私は縁があってたまたま拾ってもらいました」と話します。

 「ただし、」と岸田さんは続けます。「学芸員の採用では、館の目指す方針で、今採用したい分野など、必要な条件が加わります。その上で、学芸員の仕事は、『ゆりかごから墓場まで』といわれる社会教育に従事する『サービス業』です。学問的なバックボーンは重要ですし、就職後も研究の継続が必要ですが、館の運営との両輪でバランス感覚が求められ、何より人とのコミュニケーションが大切です」と。

 岸田さんは「現場」で結果を出してきました。

 岸田さんが手がけてきた多くの企画展は、代表的な「現場」です。

 令和元年の特別展「東雲の斎王―大来皇女と壬申の乱―」では、里中満智子さんが古代史を描いた漫画作品を展示して注目されました。平成3年に初めて担当した大来皇女展に、里中さんのセル画をお借りし展示した縁で実現したものです。

 企画展で展示したいものをリストアップするとき、まずは展覧会で伝えたいことを考え、そこから、それを表現するのに相応しい物は何か、その分野の研究者に相談したり、所有者にお願いして資料をお借りしたりと、館のネットワークを駆使しながら展示を作り上げます。ネットワークは、斎宮歴史博物館が30年かけて築き、MieMuでは旧博物館から受け継いだ財産です。最近飛躍的に発展したインターネットですが、得られる情報には限界があります。今も、学芸員の経験と、人の縁が大事です。

 岸田さんは、そのネットワークの蓄積が「館の歴史」であり、「学芸員全員で作ってきたもの」だと考えています。また、ネットワークは「信頼関係」そのものでもあります。「大きな働きをした人はいても、誰か一人ではない」と。しかし、「自分一人が失敗をすれば、館として、場合によっては三重県全体で、ネットワーク(信頼)を失うかもしれません。所有者との関係を損ねたら、事故で国宝が壊れたら、担当者一人の責任では済みません」とも。

 岸田さんも作り、断絶しないよう守ってきたネットワークは、今と未来の学芸員たちに受け継がれていきます。

 そんな責任を肝に銘じた30年の学芸員生活は、「あっという間」だったそうです。令和4年の特別展「NARIHIRA―いにしへの雅び男のものがたり―」が、岸田さんの現役最後の企画展でした。在原業平をモデルにしたとされる伊勢物語には、物語の舞台の一つとして斎宮が登場します。斎宮歴史博物館の重要な研究対象で、過去にも様々な側面から取り上げてきたテーマです。今回は「物語絵」を切り口にしました。岸田さんの出発点の「美術」です。岸田さんと斎宮の集大成といえる企画展でした。ただし、岸田さんに「やり尽くした」感覚はありません。「ここを広げたら面白いんじゃないか」が次々と湧いてきます。

「私は怠け者なので、現場にいないとやらなくなります。学芸員の仕事には、まだ関わりたいです。次の面白いことを見つけたいです。楽しいことばかりだったと言えば嘘になりますが、いつも楽しいことを探してきました。楽しくないと嫌なんです。私は古代史が好きです。斎宮が好きです。この仕事が好きです。これからもやりたいことがあります。」

 岸田さんは、文化の仕事の継続を希望しています。企画展等の業務は後進に譲りますが、情熱は尽きません。


解説する岸田早苗さん
斎宮歴史博物館の所蔵品を熱く語ります。(特別展「#NARIHIRA―いにしへの雅び男のものがたり―」にて)
岸田早苗さんと屏風
同館の所蔵する大きな屏風の前で。
問い合わせ先 斎宮歴史博物館(0596-52-3800)
e-mail saiku@pref.mie.lg.jp
ホームページ 斎宮歴史博物館・公式サイト|https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/
取材機関 三重県 環境生活部 文化振興課
津市広明町13
TEL:059−224−2176
FAX:059−224−2408
登録日 令和05年3月16日

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