みえの文化びと詳細
地域 | 中勢地域 |
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名前 | 稲葉祐三
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プロフィール | 声楽家・稲葉祐三さんは、長年にわたり、数多くのリサイタルを開催するとともに、オペラ出演や各種音楽界のソリストとして活躍しました。 また、音楽教育指導者として、県立四日市南高等学校、津高等学校で音楽教育に携わる傍ら、それらの高校の合唱部を指揮・指導し、県代表として中部合唱コンクール出場の常連校に導くとともに、大会にて多数の賞を受賞するまでに育て上げています。 さらに、津女声合唱団をはじめとする、地域の多くの一般合唱団で常任指揮者を務め、その育成に尽力しました。それぞれの合唱団に数十年にわたり腰を据えて指導に取り組み、幾度となく全国大会に導いています。 そして、三重県合唱連盟理事長として、県下の合唱界を牽引するとともに、平成6年の国民文化祭オペラ公演では、合唱・オペラ部門実行委員として活躍、成功に導いています。この成功は、三重オペラ協会設立の機運に発展し、稲葉さんは、初代会長としてその後もオペラ公演の継続に尽力し、三重の地にオペラを定着させました。 さらに、NHK全国学校コンクール三重大会、三重音楽コンクール声楽部門審査委員などを務め、三重県の音楽文化の底上げに貢献してきました。その門下から県内外で活躍する声楽家を複数名輩出したほか、県出身の音楽家の活躍の場として、三重新音楽家協会を立ち上げ、会長として多くの音楽家の活躍を支援するなど、人材育成に顕著な功績をあげました。 平成23年には三重県文化賞の文化大賞を受賞し、令和3年には、県民功労者表彰における文化功労者として表彰されています。 (主な受賞歴) 平成6年 三重県教育功労者表彰 平成11年 文化庁・地域文化功労者表彰 三銀ふるさと三重文化賞 平成23年 三重県文化賞文化大賞 令和3年 県民功労者表彰(文化功労) ※県民功労者表彰は、本県の各界において県民の模範となり、かつ、公共、教育文化、福祉衛生、産業、生活などの事績により、県勢の伸展に寄与された方々の功績を讃え顕彰するものです。 |
記事 |
久居出身の声楽家・稲葉祐三さんは、画家だった叔父の影響で、当初は絵を志しました。中学3年の夏休みには26点もの絵を仕上げ、高校生で県展に作品を出展するほど、真剣に画家を目指していました。しかし、高校の音楽の授業で聴いたシューマン作曲の歌曲「流浪の民」のレコードの歌声が、頭から離れなくなりました。音楽の下地がない家庭で育った稲葉さんが意を決し、高校生になってから音楽を習いはじめました。最初に師事した地元のピアノの先生の紹介で、奈良教育大学の先生に声楽を学びました。高校生が、月一回、先生の自宅に奈良まで通いました。 1年ほどの遠距離通学の後、第19回日本音楽コンクール(旧・毎日音楽コンクール)声楽部門で特賞1位に輝いた四日市出身の伊藤亘行(のぶゆき)さんに師事しました。 そんな努力の甲斐あって、三重大学学芸学部(現・三重大学教育学部)に音楽専攻の特待生として入学します。卒業まで同学に籍を置きましたが、実際には3年生から東京藝術大学音楽学部に国内留学しました。まだ東海道新幹線が開通する前の話です。東京藝大で、たとえば山田耕筰のような、当時の一流の音楽家の活動に触れる機会を持ちました。 稲葉さんは大変な苦学をして東京で学生生活を終えました。音楽を含むあらゆる文化の最先端である東京にそのまま残って、仕事を探し音楽にかかわっていく道もありました。しかし、稲葉さんはあえて三重に戻り、音楽教師になりました。そこには「故郷・三重の音楽のレベルを上げたい」という思いがありました。 声楽を学ぶため奈良まで通う必要があったときや、東京に国内留学したときに感じたのは、音楽を学んだり音楽に触れたりできる機会が、三重には十分ではないということでした。音楽を学びたい、音楽に触れたいと思った人が、地元でそうできるチャンスを増やすことが、稲葉さんの目標でした。それは、その後の稲葉さんの音楽活動の根底に、常に存在し続けました。音楽教師として、合唱団の指導者として、そして、三重県合唱連盟の理事長や三重新音楽家協会の会長として、稲葉さんは、音楽の仲間の輪を広げ、地域や団体の音楽活動の核となる人を育てることに力を尽くしました。 稲葉さんは、自身の音楽人生を、恵まれたものだったと振り返ります。経済的にも環境の上でも決して豊かではなかったにもかかわらず、四日市の伊藤先生をはじめとして、優れた師匠や仲間たちとたくさん出会うことができたと。 その「恵まれた出会い」は、すべて稲葉さんが自らの力で手繰り寄せたのだと思います。稲葉さんの音楽人生は、目の前にないものを遠くまで探しに行き、自分の場所で新しく作り上げることの繰り返しでした。 1973年、稲葉さんが39歳のとき、ウィーンに短期留学しました。また、42歳のときに演奏旅行でドイツの各都市を回りました。自身の声楽を高め、指導する合唱団を鍛え続けていた稲葉さんは、はじめて直に触れたヨーロッパの音楽との間に、技術の差は感じませんでした。現地の人たちからも演奏のレベルの高さを評価されました。ただ、ヨーロッパでは、演奏のレベルを上げることよりも、音楽の仲間を増やすことが大事にされていました。一人ひとりが音楽を楽しんでいました。レベルの高い演奏を少数の人に聴かせることが多い日本と違い、クラシックやオペラの演奏会にたくさんの人が集まっていました。地方新聞の記事に、日本のメディアではあまり見られない音楽批評の視点が備わっていました。音楽文化の根付き方が違うと感じました。 日本でも最近ストリートピアノを置く場所が増えています。ネットで個人が動画配信できる時代になり、狭き門を抜けて演奏家になれた人以外も人前で演奏する文化が育ちつつあります。そんな「まちかど演奏会」は、ヨーロッパでは昭和の頃から当たり前に行われていました。自然にピアノが置いてあり、人々が勝手に蓋を開けてチューニングしてから弾き始めるのを見たとき、稲葉さんは心から驚きました。令和の日本でも驚く光景かもしれません。 そんな「まちかど」で人が自然に集まって合唱を始めるのを見たとき、稲葉さんは、比喩ではなく本当に涙を流しました。自分の理想がここにあると思いました。日本にないものをヨーロッパで見つけました。 そのときから、そのような状況を日本、そして三重に作ろうとしてきた稲葉さんは、今も全く満足していません。皆に音楽を好きになってもらうには何をすればいいか、今でもずっと考えています。 今、日本もそこに確実に近づいています。そうなる流れの中に、稲葉さんの功績が確実に存在します。 第57回(令和3年)県民功労者表彰式の様子 稲葉さんが指導する県立四日市南高校合唱部が全国大会に出場 |
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取材機関 | 三重県 環境生活部 文化振興課 津市広明町13 TEL:059−224−2176 FAX:059−224−2408 |
登録日 | 令和03年5月20日 |