みえの文化びと詳細
地域 | 中勢地域 |
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名前 | 大川吉崇(おおかわよしたか)
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プロフィール | 大川吉崇さんは、大正時代から昭和初期の三重県の食文化に関する調査を、50年以上にわたり実施しました。 大川さんは「三重民俗研究会」の代表世話人となり、その調査結果から論文を作成し、全国の民俗学系学科開設の大学及び博物館、民俗学研究会等に20年間にわたり継続して配布しました。それらの論文は、県外の論文等において幾度も引用・紹介され、三重の文化を全国に知ってもらうのに多大な貢献をしています。さらに論文や調査結果が何冊もの書籍にまとめられ、出版を通じても三重の文化を世に広めてきました。 また、大川さんは、「みえ食文化研究会」運営委員長、「三重ブランド認定委員会」委員や「みえ食の産業振興ビジョン検討委員会」委員長を歴任することを通じても、三重県の食文化の普及に大きな貢献をしてきました。 そして、大川さんは、専門技術を有する人材に地域で活躍してもらうには、その人たちへの郷土教育が欠かせないと考えています。そこで、三重大学や三重調理専門学校、三重介護福祉専門学校等で、若者に三重県の文化や歴史を教える授業を担当しています。郷土を愛し、地元のために働く人材を養成するためです。 さらに、大川さんは、大人が三重県の歴史や文化を知らずして、子どもたちへの郷土教育は成しえないとも考えています。そのため、高齢者を対象に地元の老人福祉センターで郷土文化に関する講座を開催するなど、人材養成への貢献は様々な世代にわたります。 <履歴> 昭和16年 旧満州国に生まれ、津市にて少年期を過ごす 昭和36年 高野山大学文学部仏教学科入学 昭和40年 松阪市の私立三重高校で日本史担当教員 昭和44年 津市の学校法人大川学園に移籍 昭和62年 三重民俗研究会 代表世話人 平成7年 同学園理事長に就任(現在まで) 平成11年 みえ食文化研究会 運営委員長 平成13年 公益社団法人全国調理師養成施設協会副会長 平成14年 三重県立斎宮歴史博物館友の会会長 平成16年 三重県私立幼稚園協会(現:一般社団法人三重県私立幼稚園・認定こども園協会)会長 平成20年 一般社団法人三重県レクリエーション協会会長(現在まで) 令和2年 第19回三重県文化大賞受賞 令和3年 地域文化文化功労者表彰(文部科学省) <著書> 昭和54年 『鈴鹿山系の伝承と歴史―今昔の史書と郷土を愛する人の地誌』 昭和61年 『食べもの三国誌―伊勢・志摩・伊賀と熊野の民俗散歩』 平成20年 『三重県の食生活と食文化』 平成23年 『大台ヶ原山知られざる謎』 平成30年 『三重県食文化事典』 令和2年 『1955の夏 語り伝えたい話』 |
記事 |
三重県で育った大川吉崇さんが寮のある県外の高校に進学したとき、そこで知り合った同窓生たちが、自分の育った都道府県のことをよく知っていることに気づきました。大川さんを含む三重県出身者だけが、故郷のことを全く知らず、三重県の歴史や文化はおろか名所さえ説明できませんでした。 大川さんはそのことに強い衝撃を受けました。それがきっかけとなり、大川さんに郷土史や郷土文化を知りたいという意識が目覚めました。 大川さんは、大学卒業後、三重県に戻りました。日本史の高校教員として数年間勤務した後、調理師専門学校などを経営する実家の大川学園の教師となりました。 高校教員時代、大川さんは登山部の顧問でした。そこでは、登山部員に郷土を好きになってもらおうと、部員たちと一緒に鈴鹿の山々の伝承や歴史を調べるという取り組みをしました。自分たちが普段テントを張って登っている山々ですから、部員たちは熱心に取り組みました。そのとき以来、大川さんは鈴鹿の山々や大台ケ原山のことを調べ続けています。 調理師学校では食文化の授業を担当しました。地元三重の食文化の資料が必要になった大川さんは、まずは県立図書館で文献等を探しました。しかし、思うようなものが見つかりません。県外の寮で感じたことを改めて実感しました。 「自分で調べるしない」と大川さんは決意しました。 調査方法は、県内各地の古老からの聞き書きです。民俗学で多用される手法で、仏教学科卒の大川さんには専門外の試みでしたが、人から話を聞いて記録を集める活動なら、膨大な手間さえ惜しまなければ誰にでも取り組めると考えて始めました。 その地で生まれ育ち、その地で結婚し、その地に現在も住んでいるたくさんの古老から話を聞きました。春夏秋冬、四季折々の日々の食べものや、冠婚葬祭、人生の節目になる儀礼食や、年中行事での献立などの記憶をたどってもらいました。大正5年以前に生まれた古老が15歳や20歳だった若い頃の話が対象です。その人の仕事や、家族構成や、さらにはその家族の仕事なども含めた生活背景まで聞き取り、大変な時間をかけました。 すべて本業の合間に訪問した聞き書きです。年に5日から10日程度しか調査に出掛けられませんでした。それでも、10年、20年の間に100回を超える調査が出来ました。西暦で1916年以前に生まれた方の話だけに、三重の食文化の過去と現在と未来をつなぐ価値ある資料が蓄積されることになりました。 その資料を論文にまとめ、さらに幾冊もの書籍に結実させました。その研究成果を、大川さんは自身の学校で教えました。大学や他の専門学校に請われ、講義しに出掛けました。書籍は全国の学者や研究者に引用されました。また、学術の世界とは別に、県内の調理師業界でも、大川さんの研究が利用されています。学者と異なった実利的視点があることで、業界に強い影響を与えました。 大川さんは、教育現場や実業界で活躍するだけでなく、行政の文化事業にも幾多の協力をしています。若い頃に感じた「三重では郷土教育が不十分だ」という思いが原点です。県内の高校教員を中心に仲間を集め、「三重民俗研究会」や「みえ食文化研究会」を結成し、それぞれの会で20年間中心的な活動をしました(『三重県史・別編「民俗」』57p)。それらの活動を通じ、三重の文化行政において改善すべきと考える点を、長年にわたり提言し続けてきました。そこでも大川さんの実利的視点が反映されています。 そんな大川さんは、これまでに様々な形で表彰されてきました。しかし、多くの賞の中で、令和2年に受賞した三重県文化大賞が、「一番嬉しかった賞」だと大川さんは言います。それだけ「三重の文化の掘り起こしと普及」に情熱をかけて取り組んできたからと。「文化」の分野で高く評価されたことが、大川さんにとって重要でした。 「三重の文化一筋の人生」だと、大川さんを取材して感じました。大川さんのお話には、三重という地域に対する深い愛着と愛情が溢れていました。 三重県文化賞・表彰式にて これまでに出版された書籍 |
問い合わせ先 | 学校法人 大川学園 059-226-3131 |
ohkawa-a@ztv.ne.jp | |
ホームページ | 大川吉崇公式ブログ「まなびの山頂(いただき)」 |
取材機関 | 三重県環境生活部 文化振興課 〒514−8570 三重県津市広明町13番地 TEL 059−224−2176 FAX 059−224−2408 |
登録日 | 令和02年9月25日 |