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みえの文化びと詳細

地域 中勢地域
名前 園田幸男

無題
ご自宅にて

プロフィール  園田幸男さんは、公立中学校・高等学校教諭として勤務する傍ら、吹奏楽指導者として、音楽文化の発展・向上に寄与しました。

 園田さんが指導した三重県立白子高校の吹奏楽部は、県内有数の実力を持つ吹奏楽団に育ちました。同校の吹奏楽部は、全日本吹奏楽コンクール等の全国的な大会でも優秀な成績を残しています。

 また、園田さんは三重県吹奏楽連盟に永年にわたって参画し、会長、顧問など要職を歴任しています。その活動を通じて、県内の吹奏楽団体の育成を促進することに多大な貢献をしました。

 その貢献の中でもとくに注目すべきは、昭和50年に三重県で開催された第30回国民体育大会での式典音楽の充実に尽力したことです。その式典の成功は、三重県の吹奏楽文化における大きな礎(いしずえ)となっています。

 さらに、昭和53年、若者に「生の音楽」を聴いてもらうことを目的として、津コンサート協会を設立しました。20年間で77回ものコンサートを開催しています。その間、活動範囲や規模を広げながら、地元の音楽文化の振興に大きな貢献をしました。

 これらの功績により、園田さんはこれまでに多くの表彰を受けています。平成22年には三重県文化賞において文化大賞を受賞し、令和2年には三重県の県民功労者表彰において文化功労の受章者となりました。


S31 三重大学学芸学部四年制中学過程(音楽)卒業
S42 三重県吹奏楽連盟 理事
S44 三重県立白子高等学校教諭
S49 三重県吹奏楽コンクール金賞受賞(S60まで連続)
S51 東海吹奏楽コンクール金賞受賞(S53〜S60も)
S53 津コンサート協会設立
S53 全日本吹奏楽コンクール銀賞受賞(S54、S57も)
S57 全国学校合奏コンクール全国大会最優秀賞受賞
H14 三重県文化会館 アドバイザー
H22 三重県文化賞文化大賞受賞
H26 三重県吹奏楽連盟 会長
R2 三重県 県民功労者表彰 文化功労受章


 そして、園田幸男さんが三重の文化にもたらした三重国体の式典音楽は、三重の未来に向けて、今後も受け継がれていきます。

 県内の中学校・高校の入学式・卒業式で演奏されています。三重大学の吹奏楽団が十八番として演奏しています。未来を担う若者によって受け継がれています。

 そして、令和3年に、再び三重で行われようとしている「とこわか国体」で、46年の時を超えて、その式典音楽の主要曲がプログラムの一部として演奏されることが決まっています。行進曲以外の式典音楽が再び使われることは異例のことです。

 国体の音楽担当である県職員は次のように話します。

「園田先生が私たちにレガシィを与えてくれたように、私たちが今回作り上げた音楽や演奏が、また次の世代に残っていってほしいと願って、今、2021年の国体に向けて準備を進めています。」

 このように未来に受け継がれるものこそが、園田さんの最大の功績かもしれません。


記事  園田幸男さんは、戦時中に東京から一家で三重県に疎開しました。園田さんのお父様とお兄様はともに音楽教師です。お二人は戦時体制で音楽活動禁止の憂き目に遭いましたが、終戦後復職し、人々が反動のように音楽を渇望する中、三重で積極的に音楽活動をしました。兄・和夫さんは戦後三重の音楽文化を盛り上げた一人として「県史」に名を留めています(三重県史「通史編」近現代2(下)683p)。そんな家庭環境が園田さんを自然と音楽の道へ進ませました。

 園田さんは三重大学学芸学部(現・教育学部)の音楽教員コースに進学しました。当時のカリキュラムは、ピアノなど専門の楽器を持つか、声楽を学ぶかのいずれかでしたが、恩師の「これからは吹奏楽の時代だ」という言葉に感銘を受け、吹奏楽ブラスバンドの活動で大学時代を過ごしました。ブラスバンドが学校部活動で文化部の花形となる、遥か以前の話です。



 教師生活14年目に赴任した三重県立白子高校で二人の人と出会い、園田さんは吹奏楽指導者として頭角を現していきます。

 お一人は、同校吹奏楽部の創始者・正高(しょうこう)一朗さんです。「いいバンドにしたい」との思いで意気投合し、同部の音楽指導を二人三脚で行いました。もうお一人は、同校国語教諭で副顧問の石橋佳代子さんです。「生徒たちに豊かな感性を体得させたい」との思いで意気投合しました。

 互いを尊敬し合う三位一体の指導体制で、同部を三重県有数の吹奏楽部に押し上げました。



 豊かな感性のため、園田さんと石橋さんは、生徒たちに生の優れた演奏を聴く機会を用意したいと考えました。それが津コンサート協会設立に発展します。

 音楽家を津に招きコンサートを開く活動です。当初は音大生や若手を呼びましたが、津の聴衆は音楽熱が高く聞き上手だという評判が関係者に広がり、次第に著名な音楽家が来県するようになりました。ついには世界的指揮者・小澤征爾さん率いる新日本フィルハーモニー交響楽団招聘に成功します。

 この音楽会活動は後に、県総合文化センター設立運動に発展しました。園田さんの教育は、一クラブの育成にとどまらず、学校教育から三重の文化育成へと、幅広い成果を生んでいます。

 そんな一流の音楽家の演奏を、園田さんたちは教え子に聞かせました。また、演奏会終了後に座談会を設け、教え子と音楽家が直に交流する機会を作りました。その教え子の中から、音楽家を目指し音大に進学する者、音楽に関わる職に就いて高い評価を得る者、OBバンドを結成し高いレベルで演奏を続ける者などが生まれました。

 演奏においても、この音楽会が生徒たちの目に見えぬ力となりました。同部は東海中部地区で上位入賞常連校となり、全国大会出場も果たしました。



 教育者として忙しい日々を送る園田さんに、あるとき大ニュースが飛び込みました。三重県で国民体育大会すなわち国体が開催される知らせです。

 国体では、開会式、閉会式、そして各会場での競技開始前に、ブラスバンドの音楽イベントが行われます。三重県各地で、全国から集まる人の前で吹奏楽団が演奏することになります。それだけの音楽的な下地が今の三重県にあるだろうか、その思いから園田さんは動きました。

 他県の国体で演奏された吹奏楽の状況を調べ、報告書を三重県に提出しました。県と地域に働きかけ、各地域でブラスバンドを編成し、そのバンドに楽器を提供する体制を作りました。
 
 式典の序曲・賛歌・ファンファーレ・終曲の作曲者を探し、矢代秋雄さんへの依頼を実現しました。矢代さんは、札幌冬季オリンピックの祝典序曲を作曲するなど、国内外で高く評価された音楽家です。そのような方から「指名してくださるだけで名誉です」とのお言葉をいただけました。しかも、矢代さんは、賛歌の作詞に、芥川賞作家・遠藤周作さんを紹介してくれました。

 これだけの仕事をするため、園田さんと、情熱溢れる若いクラブ顧問の先生方が、毎日のように深夜までミーティングしました。皆、次の日に本業の勤務がありましたが、大会の成功に向け労を惜しみませんでした。

 昭和50年の三重国体は「音楽国体」と呼ばれ、全国報道などで大絶賛されました。



 「どうやってこれだけの成果をお挙げになったのですか」と率直に質問してみました。

 「なぜだかわかりません」と園田さんは笑顔で謙遜されます。「ただ、あの時代、皆が音楽に飢えていました。時代と、人との出会いに恵まれました」と。

 園田さんのお話には、周囲の人への深い思いがたくさん詰まっています。仲間への尊敬、教え子への愛情、音楽家への感謝など。ここに書き切れないお話もたくさんありますが、そのほとんどが、園田さんが何かをしたというより、「誰かがこれをしてくれた」という内容です。

 おそらく、そういう心の持ち様が、「どうやって」の答えなのでしょう。


無題
白子高校定期演奏会で指揮棒をふるう園田さん(「フォトチョイス」https://photochoice.jp/ ご提供)
 
 
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取材機関 三重県環境生活部
文化振興課
〒514−8570
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TEL 059−224−2176
FAX 059−224−2408
登録日 令和02年7月8日

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