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みえの文化びと詳細

地域 北勢地域
名前 長谷川 博久(はせがわ ひろひさ)

2016年10月 十六間四方白星兜鉢(重文)の説明をする長谷川さん
2016年10月 十六間四方白星兜鉢(重文)の説明をする長谷川さん

プロフィール 歴史文化研究家
みえ歴史街道構想四日市地域推進協議会委員
綱の会 企画部長
四日市大学自然環境教育研究会 監事

 地域の歴史や文化を研究して掘り起こし、その歴史文化を生かすために、地域の住民と一緒に、東海道日永郷土資料館の開館や浜田城址「冠木門(かぶきもん)」の建立などに力を注ぎました。みえ歴史街道構想四日市地域推進協議会主催の街道ウォークでは解説を務め、地域の知られざる歴史を伝えたほか、各地で歴史講演会の講師なども務めています。
記事  「文化不毛の地とも言われがちな地域ですが、実際には素晴らしい歴史や文化が多く存在しています。ただ、掘り起こさなかっただけ。」と話すのは、歴史文化研究家の長谷川博久さん。長谷川さんは、歴史や文化を掘り起こし、それを活かすために、仲間と一緒になって、地域の住民の皆さんの協力を得ながら新名所を創ってきました。
 その一つとして、四日市市にある鵜の森公園と鵜森神社内にある浜田城跡に、お城のシンボルである「冠木門」を建立、2016年10月9日に竣工し、一般公開されました。
 建立した「綱の会」は、2010年に浜田氏など「赤堀三家」の歴史を中心に四日市の歴史研究を行う研究会として発足、長谷川さんも会員の一人として活動をしてきました。
 まちの礎を築いた浜田氏の居城であった浜田城の跡は、「浜田城址」と刻まれた石碑のみで、お城の跡とはほとんど知られていませんでした。「歴史遺産であり、市内中心部に所在する史跡であるにも関わらず、大変もったいない状態だった。」と、長谷川さんは振り返ります。そのような中、綱の会は、城主末裔の存在を発見するという、四日市市の歴史上貴重な研究成果を挙げました。その記念すべき年に、長谷川さんは、「一目で城があったことが分かるように。」と、城にあったとされる「冠木門」を建立することを提案しました。準備委員会を立ち上げて、同神社や市教育委員会の許可を取り、「一口城主」(寄付)の募金に会員らと共に奔走し、多くの方の協力を得て立派に完成させることができたのです。

 2013年11月に開館した東海道日永郷土資料館の整備にも、仲間と共に力を尽くしました。長谷川さんは、「日永郷土史研究会」において、8年ほど顧問として運営に関わり、講師なども務めました。近鉄内部・八王子線(現四日市あすなろう鉄道)の存続と歴史文化資料の保存・継承のための事業に取り組み、その中で、郷土資料館を整備したいと考え検討、なかなか実現しない時を過ごす中、東海道沿いの商家を借りることができるという話が舞い込みました。日永郷土史研究会の定例会では、郷土資料館の構想について討議や「日永の語り部講座」を開催する等、資料館づくりに向けて尽力しました。
 無償で借りることができた商家は老朽化のため整備が必要で、会員らと共に整理・清掃し、床などの補修・補強工事に汗を流しました。建物のめどがついてからは、展示ケース集めに東奔西走し、各所から集めた歴史・文化資料などを整理して展示しました。中でも、地元の「日永足袋」「日永うちわ」の伝統的な道具類などは重点的に展示しました。

 いなべ市藤原町の「鼎塚(かなえづか)」の整備にも協力しました。鼎塚は、1600年、関ケ原の戦で、前代未聞の敵中突破をはかった島津義弘軍の兵士たちの亡きがらを、地元の人たちが懇ろに弔った塚だと言われています。しかし、鼎塚は、塚の位置さえ分からないほどに雑木と雑草に覆われ、足を阻まれて入ることができない状態でした。
 毎年夏休みに、島津軍の苦労をしのび、九州の小中学生らの「島津関ヶ原戦跡踏破隊」が訪れますが、鼎塚には立ち寄ったことがありませんでした。長谷川さんは、「踏破隊の子どもたちが、鼎塚にお参りできるように整備できないでしょうか…。」と、鼎地区のリーダーの人たちに相談してみると、その後、「地区の清掃のときに、みんなで鼎塚へ入れるように伐採したよ。」と長谷川さんに連絡が入りました。現地に行ってみると、辺り一面すっかり刈り取られて、直径12メートル、高さ7メートルの鼎塚が姿を現していたとのことです。
 長谷川さんは、この塚に、九州から訪れる踏破隊の子どもたちが参拝する姿を思い浮かべて、「献花する台や参拝する際にくぐる冠木門があったら、立派な鼎塚になり、今後も人が訪れる名所になるのでは。」と考え、思い切って、冠木門と献花台の制作を提案しました。鼎地区の人たちも、何とか作ってみたいと応え、長谷川さんは、模型や合成写真などを作成して提案、力を合わせて作業を進め、完成させました。
 2016年8月、踏破隊が57回目にして初めて鼎塚に参拝しました。子どもたちは、鼎地区の人たちへ感謝の言葉を残したといいます。
 鼎地区の人たちは、今後、古枕木を使って参道を整備していきたいと試みており、長谷川さんは、「「鼎」は「かなえ」、「叶う」、夢を叶えるパワースポットとして、名所にならないか。」と夢を膨らませ、「戦国時代に大将の島津義弘を何とか国元へ生還させたいという思いで、必死に戦った島津の将兵たちの夢を叶えた塚ということから、申し分ない。」と語ってくれました。

 長谷川さんは、「四日市旧港近代化遺産の末広橋梁に客車を走らせたい。」など、次なる名所創りへの想いを語ります。そんな想いに同感した仲間や地域住民らと、これからも一緒に活動し、新名所が更に増えていくことと感じました。
2016年10月 浜田城址「冠木門」竣工式の後、門をくぐる関係者たち
2016年10月 浜田城址「冠木門」竣工式の後、門をくぐる関係者たち
2016年8月 鼎塚に参拝する島津関ヶ原戦跡踏破隊の子どもたち
2016年8月 鼎塚に参拝する島津関ヶ原戦跡踏破隊の子どもたち
問い合わせ先  
e-mail eco.lexus.8613@gmail.com
ホームページ  
取材機関 四日市地域防災総合事務所
地域調整防災室
TEL:059-352-0761
Mail:ychiiki@pref.mie.jp
登録日 平成29年3月23日

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