指定区分 | 県 |
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指定種別 | 史跡 |
指定・登録日 | 2007(H19)年3月27日 |
市町 | 朝日町 |
所在地 | 三重郡朝日町縄生字中谷 |
所有者 | - |
員数 | - |
構造 | - |
年代 | 白鳳時代 |
関係サイト | - |
関連資料 | - |
縄生(なお)廃寺(はいじ)は、員弁川南岸の海岸平野に面した丘陵の狭い尾根上に立地する寺院で、7世紀後半から8世紀初頭に創建され、9世紀中頃以降に廃絶したものと考えられる。昭和61年からの発掘調査の結果、塔の基壇(きだん)(東西10.0×南北10.2m)と金堂(こんどう)と推定される小堂の基壇(東西18.0×南北7.0m)の一部が確認された。塔の地下式心(しん)礎(そ)の舎利(しゃり)穴内からは、納置品(ガラス舎利容器・石製外容器・被覆用の三彩(さんさい)椀(わん):平成元年国重要文化財指定)が一括で発見された。基壇部分には、瓦積みの基壇化粧が施されていた。また、塔基壇の西側では倒壊したままの状態で屋根瓦が検出された。 縄生廃寺は、狭小な丘陵上に造営された白鳳寺院という特殊性とともに、遺構の残存の度合い、日本考古学史に残る舎利容器の発見等、三重県の古代史上欠くことのできない重要な遺跡である。縄生廃寺の伽藍(がらん)配置等の全体状況については必ずしも明確になっていないが、周辺に関連遺構が存在することも想定され、今後も確認調査や保存範囲の拡大を進めることが望ましい。 なお、縄生廃寺を朝明郡(あさけぐん)の郡寺(ぐんじ)と比定すると、朝明郡の正倉院などと推定される史跡久留倍官衙(くるべかんが)遺跡(四日市市・平成18年国指定)との関係も注目される。 |