指定区分 | 県 |
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指定種別 | 無形民俗文化財 |
指定・登録日 | 2005(H17)年10月17日 |
市町 | 松阪市 |
所在地 | 松阪市射和町 |
所有者 | 射和祇園祭保存会(保持団体) |
員数 | - |
構造 | - |
年代 | - |
関係サイト | - |
関連資料 | - |
松阪市射和町(いざわちょう)の伊佐和神社(いざわじんじゃ)に伝わる祭礼行事である。本来の祭日は7月14、15日であるが、近年はその日に近い土、日曜日に変更されている。 射和は、櫛田川に沿った集落で、中世後期から軽粉(かるこ)の製造で栄えた。集落は6地区(町組)からなり、祭礼の主体はその6組の氏子の町々から各1台出る大・小の屋台計12台である。16日の宵宮(よいみや)に小屋台が2基の神輿(みこし)を先導してにぎやかに囃し(はやし)ながら、射和寺(いざわじ)に設けられたお旅所まで巡行する。そこへその夜、大屋台が集結して小屋台と向き合う位置につき、囃子を競い大いに賑わう。終って大屋台は帰町し、その後は各町内に飾り置かれ、小屋台は留まって神輿とともに一夜を過ごす。翌17日の本日は、小屋台が神輿とともに町の東端(下の町)から西端(上の町)の伊馥寺(いふくじ)前まで本通りを巡行し、夜に入ってもみ合いながら還御(かんぎょ)する神輿について途中までこれを送る。 由来については、昔、疫病が流行したのを鎮めるために始めたと伝える。成立は定かでないが、天和三年(1683)ころにはすでに「山」の出る祭りが行なわれていた。大屋台は18世紀末から19世紀初頭に完成したもので、軽快な障子屋根に古態を残す。それが小型化した形態の小屋台は18世紀中期の成立であるが、以前からの台車に幟(のぼり)を立てた「幟枠」を屋台化したものである。 大小各6台の屋台が織りなす本屋台行事は、囃される鉾(小屋台)とそれを囃す屋台が本質的要素であるところに大きな特色がある。町の繁栄を背景に練物の祭りから展開した近世都市祭礼の典型的な行事であり、当地方を代表する山・鉾・屋台行事として重要である。 |