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山上容子

項目 内容
地域 東紀州地域
名前 山上容子
プロフィール 1939年 
熊野市に生まれる
1993年 
清崎守人氏に絵手紙の指導を受ける
2002年
※絵手紙教室を始める
※日中国交回復30周年記念として
 日本絵手紙協会遺蘇使節団の一員
 として参加する
2003年
日本絵手紙協会公認講師の資格を取得
2004年 
「父が生まれて100年きょうだい絵手紙展」
2005年 
はがきびとのリレーエッセー(逓信新報)
「はがき三昧」に上、中、下と連載
記事 ◆山上さんのお話

2002年1月。自宅で、私を含めて3人で絵手紙教室が始まりました。
その後、「絵手紙くまの」と名付けた会は、4年後の今、40人近い会員となっています。
現在は、熊野文化協会のサークルとして、市民会館で、毎月2回、第2・第4火曜日の午後1時から行っています。また、自宅でも夜間教室を定期的に3組しています。
それ以外にも、郵政退職者の会、法人会婦人部、小学校、教職員組合、長寿大学、地域のサークルからの呼びかけで出かけることがあります。
「絵手紙くまの」活動の場は、3月市民会館での水彩画・書道との合同展、7月の熊野郵便局での「ほのぼの展」、10月・11月の市民文化祭などがあります。
私自身、絵手紙と出会ったのは、1993年6月のことです。
熊野郵便局で、清崎守人さんを講師として招いた絵手紙教室のときでした。
当時、清崎さんは、絵手紙の創始者小池邦夫先生と交流していました。清崎さんは、次のように話されました。
「ヘタでいい。ヘタがいい。」
「絵手紙は絵と字と文章の3本だて」
そのとき、「ああ、これは私に向いているかも知れない。」と思いました。
それから、私は、身近にある野菜や果物、魚などなんでも書いて、家族や親戚、知人にと、切手を貼って出すようになりました。
1996年、日本絵手紙協会が設立されました。同時に「月刊絵手紙」が創刊されました。私は、創刊号からずっと「月刊絵手紙」を愛読し、また、「絵手紙友の会」にも入会して、全国の絵手紙仲間との交流も始まりました。
また、日本絵手紙協会では、公認講師の制度も作りましたので、私も早速申し込んで、2001年毎月東京での指導者養成講座に通い、2003年春に資格を取得しました。
「絵手紙くまの」が発足したのは、その頃です。
以来、いくつかの賞もいただきました。東海郵政局へのお礼状として出した丸形ポストの絵手紙がポストカードとして、東海4県の各郵便局において、イベントなどで使われました。

 ○絵手紙は、ひとりの人に想いを込めて、一生懸命書く。
 ○受け取ってくれる人がいて、また、返事をもらうとうれしい。
 ○楽しくかいて、キャッチャーになったり、ピッチャーになったり。
 ○自分も楽しくて、人にも喜ばれる絵手紙が大好きです。

毎日忙しいのも、健康であればこそと思って、感謝の気持ちでいっぱいです。

◆エピソード

脳梗塞で10年前に倒れて、現在50代のOさんは右手が不自由です。
リハビリをずっと続けていましたが、2年前に、これ以上はよくはならないと、お医者さんから言われてショックを受けました。とても落ち込んでいました。
そんな時に、山上さんはOさんの奥さんと出会って話しを聞き、絵手紙教室への参加をすすめました。
脳梗塞で倒れて不自由となった人で、絵手紙をやっているうちに、展覧会もして、本も出版された方を山上さんがよく知っていたからでした。
「はじめは、字がなかなかうまくかけませんでした」
2年たった今では、絵も字もうまくかけるようになりました。
他の教室生も、水を汲んだり、汚れた水を自分のと一緒に空けにいってくれたりと、ほどよい手助けをさりげなくしてくれて、とてもいい感じです。
「絵手紙」は、絵を描き、文章を考えて、字をかく。
手を動かし、頭を働かせることがリハビリに大変効果があるそうです。
Oさんの絵手紙は、素直で素朴な気持ちが表現されていて、今ではファンも多く、「ある喫茶店では、店内に展示してお客さんを楽しませてくれています」と話す山上さん。
Oさんにとって絵手紙との出会いはまさに、生きる喜びを与えてもらったようです。最近では元の明るさを取り戻し、奥さんや子供さんからも喜ばれているようです。
山上さんの指導法は、とにかくよい所をみつけて褒めること。教室が終わって、帰って行く生徒さんの笑顔をみるのが好きという。
全国的に人気の高い絵手紙ですが、「熊野でも多くの人たちに受け入れられて、絵手紙人口がふえていることがうれしい」という・・・山上さんでした。
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登録日 2005/12/26