みえの文化びと検索詳細
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 地域 | 北勢地域 |
| 名前 | 藤本 秀敏(本名 佐藤 敏夫) |
| プロフィール | 昭和11年、四日市市生まれ。 昭和45年、民謡の三味線藤本流の名取りとなり、秀敏を襲名、会を結成。 平成3年、三重県民謡・民舞愛好団体協議会会長就任。 平成6年、第9回国民文化祭“みえ94”の民謡民舞の祭典実行委員長。 平成7年、三重県平成文化賞受賞。 平成18年、地域文化功労者文部科学大臣表彰受賞。 平成22年、芸術文化への貢献が認められ、「四日市市文化功労者」受賞 |
| 記事 | ◆環境が育んだ素地 洋服業を営む父が邦楽(尺八)の師匠で、民謡もたしなみ、名古屋から民謡会を誘致するなど広く活躍していましたが、病気で倒れ、後を引き継ぐことになりました。それ以降本格的に民謡の世界に引き込まれ、洋服業もやめて邦楽の道に専念するようになりました。 私と邦楽との出合いは、何よりも父の影響が大きく、生まれながらに邦楽の旋律が子守歌のように耳に馴染んでいたのでした。 ◆熱い活動の青年期 多くの人との出合いが活動への導火線となりました。学生演劇に端を発し、四日市青年劇団の自立公演、腹話術活動、邦楽の登竜門として四日市新丁の練り(菅公)の囃し方(横笛)、などを経て四日市諏訪太鼓の創設期より参加、大四日市まつり、湯の山僧兵太鼓の作曲指導などを経験しました。その後太鼓以外にも芸域を広げ、長唄、民謡三味線へと転向し、昭和45年に東京藤本流名取、秀敏を襲名しました。今年40周年を迎えました。 ◆感慨深い40年間 昭和46年に、襲名披露と第1回の民謡発表会を超満員の四日市市民ホールで盛大に開催できたことは思い出深く人生の宝物として鮮やかに記憶に残っています。その後、毎年発表会を重ね現在に至っています。 中でも、第9回国民文化祭が三重県で開催された時には「民謡民舞の祭典」の実行委員長と「総合フェスティバル」の委員として活躍の機会を得ました。翌年、三重県平成文化賞の栄誉を賜り、海外文化使節としてインドネシアへ派遣されたり、民謡・民舞以外の分野で活躍の場を得られたことが人生の充実感につながっています。 三重県文化協会の理事として国民文化祭、県民文化祭の企画運営にも携わりました。4回もの海外文化交流派遣や国民文化祭へ19年間の連続出演の実績を残すことが出来貴重な財産となりました。 ◆取材を終えて 「人との出合いを大切に若い世代へ伝統文化を継承していきたい」という藤本さんは、「芸道はまだ道半ばです」と多くの賞を得ながらも「一生稽古」を座右の銘とし、精進される謙虚なお人柄に感銘を受けました。これからも、施設や学校のボランティア活動を通じて、地域文化発展に力を発揮していただけるものと確信しました。 |
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| 登録日 | 2011/01/05 |