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池田 比早子

項目 内容
地域 東紀州地域
名前 池田 比早子
プロフィール 尾鷲市中井町の旧熊野街道筋に位置する『田原屋』にてフラワー講師を務めており、特定非営利活動法人『海虹路(えころ)』の代表者。ひのきシートを活用し、折る、編む、染めるといったあらゆる方法でコサージュ、うちわなどを作成する「ひのきクラフト」を発明。尾鷲市の木であり、市のシンボルのひとつである桧を生かした地域づくりに尽力されています。また、『田原屋』は東紀州まちかど博物館にも登録されており、池田さんが館長となっています。 日本ホビー大賞 「文部科学大臣賞」、三重の文化新人賞受賞。現在54歳。
記事 「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された熊野古道馬越峠道の急でほの暗い石畳道を下りきると、旅人がホッと一息ついた尾鷲市中井町の街道筋に出ます。この、旧街道の風情がある中井町の一角に『田原屋』はあります。一歩足を踏み入れると、そこに多種多様のフラワーアートをはじめ、敷物、絵手紙など、あらゆる手作り作品が並びます。この作品、全てひのきを削ったひのきシートによって作られています。ひのきシートがこれほどの作品に変身するということだけでも驚きですが、このような活かし方を考え出した池田さんの想像力の裏側には、池田さん、それに地域住民の計り知れないほどの地元に対する思い、そして情熱が存在していました。

<ひのきクラフトが誕生するまで>
平成11年、三重県紀州地域8市町村(現在は合併により5市町)で『東紀州体験フェスタ』という大きなイベントが行われました。三重県南部を活性させる目的で発足したこのイベントの開会を控え、池田さんは地元尾鷲のボランティアとして、イベント用の胸飾りを考案することになっていました。いかにして尾鷲らしいものを作るかということを考えていたある日、池田さんはとある木工所で大量のひのき削り屑が床に落ちているのを目にしました。
このとき、ふと池田さんの頭の中をよぎった考えが「これを何かに使えないかな?」
その後、削り屑を花びらに見立てることによって花が作られ、ひのきのコサージュが誕生しました。池田さんはもともとお花の講師であり、大学時代から華道を勉強してきました。花を生けるという作業の他、多種多様の自然の花の観察、そして布花作成などにも関わってきました。このひのきコサージュは、観察、造花、そして生け花と長年あらゆる視点で花を見てきたことによって得られた感性の集大成といえます。ひのきシートはその後、ハガキ、草履、そしてクリスマスのリースなど、あらゆる作品へと変化し、多くの人を圧倒、魅了してきました。これはもはや「屑」ではない、原料になった削り屑は「削り屑」という呼び方から、「ひのきシート」へと変わってゆきました。こんなに多くのものを表現できる材料に「屑」の文字をつけるのはふさわしくないという池田さんの考えが「ひのきシート」という呼び名に現れています。

<ひのきクラフトに込められた池田さんの思い>
東紀州体験フェスタがきっかけとなり、本来捨てられるものであったひのきの削り屑を花びらに見立てるという池田さんの発想によって生みだされたひのきのコサージュは大評判でした。ひのきシートがクラフトに活かせることを知った池田さんは、ひのきクラフトで商売をするか、ボランティア活動を通して広めてゆくかという大きな岐路に立ちました。ある程度の地名度を得た後ということもあり、売ればそれなりの利益となるが、池田さんは、地域振興、古道調査などいろんな分野の人が交流する機会となった東紀州体験フェスタを振り返り、利益を得る以上に、ひのきクラフトを通じて人とのつながりを広げるということに重きを置き、商用ではなく広げる活動を選ぶことになりました。そして、2004年3月、ひのきクラフトによる地域づくり、そして環境保全、教育、文化、芸術、産業の発展とそれらの循環に寄与することを目的とした特定非営利活動法人『海虹路=えころ』を立ち上げました。
「ひのきのコサージュ一輪に辿り着くまでには多くの人との交流がありました。そして多くの人に支えられて10年、ひのきクラフトを作る楽しさを実感してきました。これをより多くの人に伝えるために、インストラクターを今後育成し、後世にこの技術とそれによって生まれる人とのつながり、喜び、明るい地域を伝えて行きたいです。これは、桧、花という自然と人との間で行われるひとつの循環です」と池田さんは笑顔で話されました。池田さんはこの「循環」をキーワードに、今後も活動を続けていきたいと意気込んでいます。この「循環」は「巡環」でもあり、同じ考えを持った人々によってつながる一つのかけがえのない「輪」です。
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登録日 2007/12/20