みえの文化びと検索詳細
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 地域 | 伊勢・志摩地域 |
| 名前 | 水野 昌光 |
| プロフィール | 進富座4代目代表。 1958年伊勢市生。 3歳から高校卒業まで山梨・信州に住まう。 関西大学で考古学を専攻し、卒業後大阪府教育委員会埋蔵文化財保護課嘱託を経て、家業の映画館を継ぐ。 1997年、一時映画館を離れ、愛媛で学芸員に従事。 2002年、帰郷し、映画館『進富座』を再開。 地方都市では珍しい単館系劇場として活動、現在に至る。 |
| 記事 | 『2010年師走に思うこと』 進富座 水野昌光 伊勢の旧市街でつましく映画館・進富座を営んでいる。 ちょっと寄り道をしてリスタートしたのが2002年だからもう丸8年が過ぎたが、この劇場の歴史はもっと古い。当館西ロビーの壁にある2枚の木製看板もその証のひとつだ。 1枚は、戦後間もなく仮小屋で打った昭和23年9月28日付の演目『仮名手本忠臣蔵』のもの。もう1枚は、昭和25年4月17日付本小屋柿葺落興行の看板。いずれも祖父の手による勘亭流の文字が躍る。祖父母と親交の深かった先代中村鴈治郎丈を始め、当時の松竹歌舞伎の名優が名を連ねる。 役者の他に衣装や床山、お囃子などのスタッフ、請元である祖父を始め、総務、出札、大道具、お茶子、さらには役者が泊まる旅館、仕出し、資材の納入業者にいたるまで、この興行に関わるすべての人の名も記してある。 戦後数年を経ているとは言え、物資も少なく住まいもままならない時代、芝居小屋設立に奔走した当時の人々の熱い息吹を想う。もともと“小屋”の運営は、こんな風にたくさんの人の助力や合議によって成り立ってきたのだ。 この3年後の昭和28年3月、芝居小屋から映画館へと転身。開館当日の写真は、花輪と自転車で埋まった進富座の華やかな勇姿を伝えている。以後、祖父母、両親、私と3代にわたる映画館経営。60年を越える艱難辛苦の歴史は、言い換えれば幸せな時の積み重ねでもあったように思う。 いま、街の映画館は、ほとんどの人の中でその存在意識を失っている。事実この10年の間に個人経営の劇場は全国で約10分の1にまで激減し、県内でも一般作品を扱うのは当館だけ。多くの人が日々の暮らしの中で慌ただしく時を過ごし,映画館に足を運ぶことは稀になってしまった。しかし、“文化”が、かたちのない心象を何か別のかたちに置き換えてそれを伝えることであるならば、映画はもっともっと利用されても良いはずだ。 街の中に、もうひとつ別の時間が流れている場所がある。心を鎮めて己と向き合える空間がある。映画館とはそんな所だと思う。だからこそこれからも、映画をよりどころとしているわずかな観客の皆様とともに進富座にかかわってゆきたい。そう長くはないだろうが、そんなに短くもないことを祈りながら…… |
| 問い合わせ先 | 伊勢市曽祢2-8-27 |
| shintomiza@k5.dion.ne.jp | |
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| 登録日 | 2010/12/06 |