みえの文化びと検索詳細
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 地域 | 伊勢・志摩地域 |
| 名前 | 狂言師・森浩一さん |
| プロフィール | 狂言師・森浩一さんは、昭和7年に三重県伊勢市で、300年以上狂言師を務める森家の長男として生まれました。3歳で狂言の稽古をはじめ、令和7年に93歳を迎えた今も、現役の狂言師として活動を続けています。 毎年、春分の日と秋分の日の年2回、伊勢神宮の「神楽(かぐら)祭」で能楽(能と狂言)が奉納されることから、伊勢の地では、代々狂言を継承する一族が古くから活動してきました。現在、全国的に活動する狂言の流派は大藏(おおくら)流と和泉流の2派で、森家は大藏流に属します。最古の狂言の流派である大藏流は、能楽の前身・猿楽の時代の13世紀に始祖が遡り、700年以上の歴史があります。伊勢神宮の神事を担ってきた森家は、大藏流の中でも本流に位置する家系です。 長い伝統を担う狂言師一家という環境で、狂言をはじめた3歳のときには、すでにお父様から厳しい指導が始まっていました。6歳で初舞台を踏み、中学に入る頃には、より本格的に狂言師を目指す指導を受けるようになりました。その後、大藏流二十四世宗家・大藏彌太郎さん(後の大藏弥右衛門さん)に師事し、宗家から直々に教わる立場になりました。そこで「三番叟」、「花子」を演じるなど数々の実績を積んで、昭和47年には流儀の宗家が認めた最高の資格である職分師範を許されて、大藏流の指導者となりました。 大藏流の番数は180曲あり、森さんはそのうち79曲を習得しています。1曲1曲の習得に大変な時間と努力を要する狂言を次世代に継承すべく、伊勢市内に自ら稽古場を創設し、教室を開きました。50年に及ぶ後進育成指導の活動で、教え子は200人にのぼります。現在、教室には、5歳の子どもから80歳を超える人まで、幅広い年齢の生徒たちが通っています。 昭和34年から、中勢地方を中心に、小学校・中学校の子どもたちに狂言指導を行い、狂言の楽しさや難しさ、大和言葉の使い方など、伝統文化の重要性を伝えています。そして、伊勢市内の中学校で演劇部の部員に長く狂言を教えていました。また、鳥羽市能楽保存会の要請で、幼稚園から中学生が演じる「子ども狂言」を指導し、令和7年に20年目を迎えました。 三重県生涯学習センター主催の文化体験パートナーシップ活動推進事業「学校向け文化体験プログラム 伝統文化を体感『狂言体験』」では、平成19年から講師を務めています。県内全域の100校以上の学校で、「狂言体験」を開催してきました。 昭和60年から伊勢伝統芸能連盟会長や伊勢市能楽連盟理事など、地元の文化団体の役職も歴任し、地域の伝統文化を側面から支える活動も行っています。 そして何より、森さんは、指導者としてだけでなく、演者として今も活動しています。三重県内では唯一の流派公認の狂言師として、伊勢神宮への春・秋の奉納に加え、各地の薪能(たきぎのう、夜間に薪の灯りで鑑賞する能楽)など、多数の演能会への出演を続けています。 このような長年の活動が評価され、平成16年に伊勢市文化功労賞、平成19年3月に三重県文化賞文化功労賞を受賞しました。そして、令和7年には、文部科学大臣による地域文化功労者表彰を受彰しました。 昭和 7 (1932)年 三重県伊勢市で生誕 昭和32(1957)年 森電機商会創業 昭和34(1957)年 中勢地方を中心とした小学校・中学校の狂言教室開始 昭和46(1971)年 株式会社森電機商会取締役社長 昭和47(1972)年 大藏流狂言職分師範 昭和60(1985)年 伊勢伝統芸能連盟会長 / 伊勢能楽連盟理事 平成16(2008)年 伊勢市文化功労賞受賞 平成19(2011)年 三重県文化賞 文化功労賞受賞 学校向け文化体験プログラム「狂言体験」開始 令和 7(2025)年 文部科学大臣による地域文化功労者表彰 受彰 |
| 記事 | 90歳を超えてなお舞台に立つ森浩一さんは、普段はとくに大声ではありませんが、狂言を演じる声は会場の隅々まで通ります。 面白いセリフで楽しませる狂言は、マイクがない時代から続く伝統芸能です。数百席の能楽堂、より広い劇場、音が全く反響しない屋外での薪能など、どのような会場であっても狂言師は全ての観客に声を届けます。 少年時代、森さんのお父様は伊勢を流れる勢田川の岸で森さんに発声させ、自身は船に乗って漕ぎ出して次第に距離をとり、声が聞こえていたら懐中電灯で大きく丸、聞こえなくなったらバツを作るという訓練をしました。喉から出血し痛くて味噌汁を飲めなくなりながら、聞こえる距離を延ばすため必死で声を張り上げ、今の声を手に入れました。 また、狂言には、カカトをつけたすり足で膝を少し曲げクッションを作り、身体を上下させず移動する独特の歩行法があります。近年ではトレーニング方法として注目されるほど、脚力と確かな体幹を要する歩行法です。この歩行をしながら、垂直に飛び上がる動きもあります。ブレずにまっすぐ飛び、同じ場所に着地しなければなりません。森さんはこれらの基本の動きを今も難なくこなします。 常に同じ大きさの舞台で演じる伝統芸能である狂言では、演目ごとに、移動する距離・歩数、何歩目にどのセリフを言うかなどが厳密に決まっています。 セリフの掛け合いで笑わせる狂言の登場人物は常に2人以上、中には32人出る演目もあります。相手がセリフを飛ばしたとき、自分が脚本通りにセリフを言うと掛け合いが成立しません。対応できるよう狂言師は共演者全員のセリフを覚えます。 さらに、長年演じられてきた狂言の演目には、出演者各自がどのタイミングでどう動き、どうセリフを言えば面白い舞台になるかの経験が詰まっています。森さんは「定められた方式を守れるほど、お客さんの反応が良くなるのを感じます。」と話します。アドリブの余地はなく、様式をどれだけ実現できるかが重要です。 狂言の出演が決まると、森さんは脚本を朝晩読み込み、稽古で歩行などの動きとセリフを完全に一致させます。舞台に上がるのに一つの演目で半年はかかります。そうやって森さんは79曲の演目を習得しました。 森さんは習い覚えたものを後進に伝え続けてきましたが、狂言の長い伝統を持つ伊勢で森さんに続く狂言師がなかなか育たず、後継者育成は森さんの悲願でした。最近ようやく、鳥羽の教室に通った人や、指導していた中学校演劇部の生徒から、狂言師として将来を期待できる人が育ってきました。その人たちの活躍の場を広げることが、今の森さんの最大の目標です。 狂言には心身に大変な努力を要しますが、森さんは引退しようと思ったことは一度もなく、一線を退き指導に徹するつもりもないそうです。人に狂言を教えるには自身も現役で舞台に上がり続けることが必要と考えているからです。 それだけのモチベーションをどうやって維持しているのかお尋ねすると、「意外な質問」という顔をされたのが印象的でした。例えば森さんは、生まれてから一度も、お酒もタバコも身体に入れたことがありません。芸の妨げになるというお父様の教えを、ずっと守り続けています。食べ物に気を付け、生活習慣を整え、自己管理を徹底しています。 森さんは電化製品販売業・修理業を営む経営者でもあります。少年時代にラジオ作りが大好きで、趣味が高じて開業しました。高度成長期を迎える昭和時代から、地域の生活を支える「街の電気屋さん」としてずっと忙しく働きました。また、3人のお子さんが通った学校でPTAの会長を長年務めました。狂言以外も含む地域の文化団体の要職にも就いています。狂言の鍛錬は、それら生業等で多忙な日々の中で続けました。 何歳になっても健康を維持し、身体を鍛え、狂言を修練することは、森さんにとって当然のことなのかもしれません。 令和8年1月、熊野市の飛鳥小学校で、三重県生涯学習センターの事業「学校向け文化体験プログラム 伝統文化を体感『狂言体験』」の講師を務め、同校23名の児童と地域の人に、①能楽の基本的な講義、②能楽で用いる面や扇子に触れる体験、③狂言「柿山伏」実演、④舞「盃」体験などを行いました。 能楽の舞台に描かれる松は、冬でも青々とし何百年も枯れないことから、長寿や悠久の象徴として能楽の永続的な繁栄の願いが込められることや、狂言でハッキリと言葉を伝えることが大事であるように、子どもたちも声に感情を込め、自分のことを相手にしっかりと伝えてほしいことなどを話されました。 同校・二見哲生校長 「子どもたちが歴史的な伝統芸能に触れる良い機会でした。狂言の内容を全て理解するのは難しかったかもしれませんが、声の大きさや礼儀作法など、子どもたちに伝わるものがあったと思います。」 狂言を通じて子どもを育む気持ちが森さんから伝わってきました。 |
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| 取材機関 | 三重県 環境生活部 文化振興課 津市広明町13 TEL:059-224-2176 FAX:059-224-2408 |
| 登録日 | 2026/02/13 |