資料詳細

仏通禅師所用法衣並びに伝来什物

項目 内容
文化財名 仏通禅師所用法衣並びに伝来什物/鉢盂 五口、匙 一口、筋 一対
附名 ぶつつうぜんじしょようほうえらびにならびにでんらいじゅうもつ/はつうごくち、さじひとくち、すじいっつい
指定区分
指定種別(詳細種別) 有形文化財/工芸品
指定・登録日 2017/02/02
市町 明和町
所在地 多気郡明和町大字上野652
所有者 宗教法人 安養寺
員数 一括
構造 七条袈裟 一領   法量: 丈92 .0cm 幅189.5 cm
直綴 二領  法量:① 丈126.0 cm 総裄226.0 cm  ② 不明
頭陀袋 一口   法量 :縦60.0cm(覆蓋を開いた状態) 横29.0cm
剃刀箱 一合 並びに 剃刀 二口
柄錫杖 一柄
・ 鉢盂 五口、匙 一口、筋 一対
法量:皿  口径 13.6cm、底径 7.5cm、器高 3.8cm
鉢1 口径 17.5cm、底径 8.5cm、器高 7.0cm
鉢2 口径 18.0cm、底径 9.3cm、器高 8.0cm 鉢3 口径 19.0cm、底径 9.5cm、器高 8.5cm 鉢4 口径 19.5cm、底径 5.8cm、器高 10.0cm
匙  長さ20cm
   筋  長さ19.5cm
年代 鎌倉時代(後期)~江戸時代
サイト
概要  この資料は、安養寺の開山で臨済宗の禅僧である癡兀大慧(ちこつだいえ)(1229-1312)が使用したとされる伝世品及び法要時に整えられたものである。「仏通禅師」とは、大慧の死後に送られた諡号(しごう)である。仏通禅師は伊勢国出身で、比叡山で学んだ後、京都の東福寺を開山した円爾(えんに)の門人となり、応長元年(1311)に東福寺第9世住持となった。開山した安養寺において、正和元年(1312)11月22日に示寂(しじゃく、死去のこと)したと伝えられる。
 七条袈裟(一領)は、丈92 .0cm、幅189.5 cm。田相(でんそう)部分は白地に龍丸文を散らした顕文紗(けんもんしゃ)、縁、竪条(たてじょう)と一部の横堤(よこづつ)は紺地に尾長鳥を、横堤の一部と紐座(ひもざ)、環座(かんざ)には黄色地に大ぶりの向孔雀丸文様を織り出した文綾(もんあや)を用いている。四隅の角帖(かくちょう)部分は萌葱地に唐花(からはな)を織り出した綾地の別絡金襴(べつがらみきんらん)を用いる。環は緑漆によって、花唐草が表現されている。
 顕文紗とは中国・南宋時代に製織が始まった文様織物で、田相に使われているものは南宋時代後半(1127~1276)に制作された品とみられる。縁や竪条等に使われる2種類の文綾も鎌倉時代以降に多く見られるもので、特に黄色地のものは中国からの請来裂(しょうらいきれ)と考えられる。四隅の金襴は他の生地より制作年代が下がる様式を示しており、後世の補修によるものと考えられる。
 このように、多くの裂地は仏通禅師所用として違和感のないもので、当初の様相を残しているが、後世、傷みが進んだためか、全体に和紙による裏打ちがなされている。
 直綴(二領)のうち、一領は丈126.0 cm、総裄226.0 cm。袈裟のすぐ下に着用する法衣である。上半身と下半身がつながっている衣服で、襟をうちあわせ、附属する紐で腰の左右を結びとめ着用する。禅宗とともに中国から伝わり、禅僧の外見上の指標とされてきた。3種類の文綾(赤茶地八藤丸文、赤茶地石畳文、黄茶地団花文)を40片程度縫い合わせたものである。もう一領は傷みが激しく、畳んだ状態で縫いとめられているため広げることができない。
 頭陀袋( 一口)は、縦60.0cm(覆蓋を開いた状態)、横29.0cm。仏通禅師所用と伝えられる、経文等の僧具を携帯するための首からさげる袋である。表地には焦茶色平織(ひらおり)の麻、裏地には紺地に入子菱(いりこひし)文様を綾織した麻をあわせ、四周を白と萌葱(もえぎ)の段を織り出した綾織の絹で縁取っている。これを三つ折にして襠(まち)をつけ、袋に仕立てている。覆蓋(おおいふた)から背面にかけて、仏通禅師が示寂(しじゃく)した時刻と場所が墨書されている。
剃刀箱(一合)は、縦23.4cm、横4.5cm、幅4cm。剃刀(二口)は、いずれも長さ22cm、柄幅2.6cm。剃刀箱は長方形印籠蓋造の箱で、内部を板で仕切り、剃刀2口を納める。長側面中央に金銅製の菊花形紐金具がつく。外面は黒漆塗に平目地(ひらめじ)で仕立て、蓋中央に金平蒔絵(きんひらまきえ)で単弁の菊の折枝1本を表している。内面は黒漆地として蓋裏と身込に付描(つけがき)で蝶と鳥が飛び交う様子を描く。剃刀2口の柄は、黒漆塗平目地に箱内部と同様の蝶鳥文(ちょうとりもん)を表す。剃刀の刃には著しい使用痕がある。中世の剃刀箱の類例がないことや、後世の修理痕跡も認められることから、改装や転用の可能性はあるものの、平目粉を用いた地蒔、平蒔絵に描割(かきわり)を組み合わせた菊花の表現、単純化された蝶鳥の描写などから、制作年代は中世に遡ると考えられる。
 柄錫杖(一柄)は、全長26.0㎝、頭部(杖頭部)長14.7㎝、頭部幅10.8㎝、遊鐶径4.8㎝。読経等に合わせ振り鳴らして用いるもので、本例は柄(手)錫杖である。心葉(しんよう)形の外輪の左右の肩に雲形、腰に三日月形を表し、外輪頂部には宝珠形があったと思われるが一部を欠失している。穂袋部の先端は水瓶形、蕨手(わらびて)先には蓮台宝珠を配すし、外輪左右には各3個の遊鐶を備える。総体に磨滅が著しく、また各部の表現が不明瞭なところから、何らかの由緒を持つ古い錫杖を型取りして鋳造した可能性も残る。心葉形の外輪の形式は中世を遡る古様を伝えるが、太く重厚に表された蕨手や穂袋部の表現には中世的特色も認められ、仏通禅師在世時をやや遡る頃に制作されたと考えられる。なお、木製の柄は後補である。
 鉢盂(五口)は皿と鉢があり、皿は、口径13.6cm、器高3.8cm。鉢は最大のもので口径17.5cm、器高7.0cm。 匙は長さ20cm、筋は長さ19.5cm。いずれも禅宗の修行僧が使用する食器で、入れ子状に重ねられている。轆轤(ろくろ)で成形した木製素地に黒漆を塗ったあと、朱漆を塗り重ね、底部はさらに黒漆を塗り重ねている。文化8年(1811)の墨書のある箱および袱紗(ふくさ)に収納されており、付属の朱漆塗匙および筋とともに、仏通禅師の五百回忌の儀式用に制作されたものと考えられる。
 安養寺を開山し、かつ当寺で示寂したと伝わる仏通禅師の所用品として、まとまって伝えられている資料である。特に袈裟や法衣の染織品は、鎌倉時代にまで遡り、一部に南宋からの請来裂を用いているところから、所伝通り、仏通禅師の所用品の可能性が高く、禅宗において、師から弟子に教えを付嘱した証として授ける「伝衣(でんえ(でんね))」とその関係品と考えられる。
 当資料は、三重県内において、臨済宗東福寺派の寺院として屈指の規模を誇っていた安養寺開山の仏通禅師に関係するまとまった資料であり、学術的・文化史的にきわめて価値が高い、県内第一級の文化財である。